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――逃げ出したい・・・・・・
ここは山深い檻だと、女はぼんやりと空を見上げた。
もうすぐ、己の祝言という名の終身刑が言い渡される。
今日から名門の貴族がこの屋敷にとどまるというが、もはやどうでもいい。
ここからなんとしてでも逃げ出さなくては。
女は、浅黄の小袿に薄紅の五衣、萌黄の単が映える衣裳を翻し、緋の打袴を引きずって準備に取り掛かった。




空蝉




「ここか・・・・・・」

熊野は勝浦に到着した将臣は、平家ゆかりの一族が住む家の前で誰に言うとも無く呟く。そのすぐ隣で道行きにしぶしぶ付き合うことになった知盛が盛大にため息をついた。 夏の日差しは肌を刺すように強く、からりと晴れ渡った空に向かって手をかざす。とにかく、水が欲しい。
彼の父である清盛が熊野を参拝した折、幾度と無く迎え入れた家だという。当然、知盛とも面識があるが、最後に訪れたのはいつだか定かではない。加えて、興味が無いもの はとことん忘れてしまうため、知盛はこの家の当主の名前はおろか、顔ですら覚えていなかったのだ。
しかし、あの清盛公を迎え入れるだけあって家のつくりは豪勢である。
ぐるりと高い塀が囲み、門は今眼前に控えている正門と、西と東に一つずつ。それぞれに舎人が見張りとして二人立っているのは位の高い証拠か。

「おい、知盛、本当に大丈夫なのか?」

「さぁ・・・・・な。経正殿が抜かりなく文を遣わしているのであろう?」

「あぁ」

短く答えた将臣は、懐から書状を取り出すと、すたすたと正門に控える舎人に近付きなにやら話し始めた。こういったことはひどく苦手なのだが、いかんせん知盛は動く気配を見せない。 しばらくして、おういと呼ばれたのでようやく動き出したくらいだ。
舎人から家人、家人から主へと伝令が伝わってゆき、寝殿に通されたのはすぐのこと。経正からの文で一切のことを心得ていたのであろう。主は慌てた風もなく二人の前に頭を下げた。

「還内府殿、中納言殿、長らくの旅路お察し申し上げます」

歌うように言葉を紡ぎ、顔を上げたのは当主である伊周(これちか)。齢五十になろうかという貫禄ある男である。伊勢平氏の流れを汲み、ここ熊野でも平家よりの人間として名高い。

「当主におかれましてもお変わりなき様子、安心いたしました」

薄い唇をわずかにゆがめ、知盛は形式ばってかえす。

「新中納言どのもお変わりなく・・・・・・あぁ、還内府殿、どうかかしこまらずに」

にやりと笑んだ表情はどこか抜け目無い。将臣はただ曖昧にああ、どうもと頭を下げるだけだ。

「本来ならばこの場に末娘を同席させるべきなのでしょうが・・・・・・祝言を控えておりまして。どうかご容赦いただきたい」

「なに、構いませぬ。後で祝いの品をお贈りいたしますゆえ」

「さようなお気遣いは無用ですぞ、新中納言殿。今宵の宴には出席させましょう」

それからしばらく。互いの腹の内を探っているのかそれとも本心から述べているのか定かではない会話が続き、二人は逗留する東の対に通された。
贅を尽くした、という言葉がふさわしい。
先ほど通された主殿を正面にして右側に東の対、左側に西の対を配置し、背後には伴侶が起居する北の対。西の対から渡り殿がさらに伸びて釣殿までしつらえてある。また、東の対に隣接するようにして侍廊が建てられており、 東四足門から直接出入りできるようになっていた。台盤所―北の対に連接している―などが細かく連結されており、庭の造りも計算されつくしている。
庭は庭で、大きな池の中央に人口の中島があり、松がいくつか植えられている。反り橋が南庭とつなぎ、遣り水が東と主殿の間にまで伸びていた。
それをじっくりと眺めながら、知盛は思い出したように呟いた。

「あの伊周殿が、末の姫を手放す、か・・・・・・」

「なんだ、お前、知ってるのか?」

「顔を見たことは無いがな。確か・・・・・・ご正室が生んだ子だと思ったが・・・・・・」

「へぇ。で、何て名前なんだ?」

「さぁ・・・・・・名前を聞くは求婚のしるしなんでな。身を固めるつもりは無いぜ?」

この話題は終わりだとでも言うように、知盛はごろりと寝転び、将臣に背を向けた。
空には疲れたように真っ赤な太陽が傾いており、雲ひとつ無い東の空はやっと藍色に染まりかけていた。か細い風が吹いて将臣の紺色の髪を揺らし、どこかから香った香りに、新熊野権現で再会した幼馴染を思い出させた。




末の姫の名を、今晩の宴ではじめて知った。菜摘という。知盛の記憶どおり、彼女は伊周の正室である八重が生んだたった一人の子であり、年は十九歳だと紹介された。京から熊野詣に来た公家に見初められ、 近々祝言を挙げるということで邸内はやや浮き足立っているのも頷ける。
将臣と知盛が居る位置からははっきりと姿は見えないが、長く黒い髪がやけに印象的で、浅黄の小袿が彼女の目印のようなものだった。
御簾の向こうで顔を幾分か伏せ、扇でかくしているさまはさすが良家のご令嬢という風情である。
話を聞けば、彼女は西の対に控えており、専用の女房としか会話をしないのだという。
今も、その女房が御簾越しに話しかけているのが見えた。

「父親の私とも言葉を交わさないもので・・・・・・」

と伊周は苦笑交じりに杯を空けた。

「一切会話しないのですか?」

「ああ、それが、末娘は尼僧でしてな。去年、還俗いたしました……同じ屋敷に住んでいても、顔はめったに合わせませぬ」

「左様でございましたか・・・・・・」

伊周との会話を全部知盛に任せて、将臣は一人酒を舐める。どうもあの当主は苦手だ。
蒸し暑い夜に風はめったに吹かない。
寝殿の簀子に三人が並び、南庭では白拍子が舞っている。池には船を浮かべて、美しい女房が歌をたしなんでいる。篝火が煌々とともり、満ち切っていない月にまで届くような、 喧騒の中。将臣はもう一度、西の対にいる菜摘姫の方を見た。




菜摘は空を見上げる。
天の帳に張り付いた月は雲に光を反射させて、星の輝きをかき消してしまう。独特の生ぬるい風が吹き、父のけたたましい笑い声が聞こえてきた。

――あれが、

到着した平家の子息と、ようやく顔を合わせた。昼間はなんやかんやと挨拶を逃れたが、この宴からは逃げられなかった。
空から視線を外して、そうっと寝殿の客人を見る。
二人とも、遠めに見てそうと判るほどの鍛えられた体をしている。一人は紺色の髪に赤い、揚羽蝶の家紋が入った直衣を着て亡羊と杯をあおっている。もう一人は、銀色の髪に剣呑な空気 を肩の辺りに漂わせた――確か、知盛殿だ。ということは、あちらが『還内府』殿か。
菜摘が小さく合点して頷いたちょうどその時、女房が話しかけてきたので適当にあしらう。
平家もこの家も、己にとっては関係ない。
父ですら、己を知らないのだから――




歓迎は三日三晩続き、勝浦中の酒を飲み干したかと錯覚するほどである。案の定、愛想を振りまくのが飽きた知盛のかわりに将臣が酌を一身に浴びたのだが、酒の強い体質が功を奏して二日酔いには至らなかったある日のこと。
雨宿り帰りに、知盛が幼馴染を伴って港までやってきた。

「ま、将臣君・・・・・・」

「望美!?なんでこいつと・・・・・?」

「あのね、雨宿りしてて、それで・・・・・・」

しどろもどろに説明をする望美は、確かに新熊野権現で再会した彼女に変わりなく、将臣は動揺を隠すのに精一杯になる。望美はいつもと変わらない笑顔を向けてくれるが、自分はうまく笑えている自信がない。

「どうした、有川?」

などとつれてきた張本人は涼しい顔で、むしろこちらの様子を窺っては面白がっている。厄介なことこの上ない。

「で、どうなんだ、その怪異ってやつは。解決できそうなのか?」

「う〜ん。法皇様のね、一行に白拍子に化けて紛れてるのは見つけたんだけど・・・・・・」

困ったように首を傾げる望美の言葉に、興味を惹かれた知盛が揶揄する口調で言った。

「あのお方も節操のない・・・・・・相手が怨霊だとしても、気にされぬ・・・・・・か」

「でも、そいつをなんとかしねぇと本宮につけないんだろう?」

「そうなの。このままじゃ、法皇様も危ないし」

藤色の髪を、ゆっくりと耳にかけて望美は言う。にわか雨が作った水溜りを、つま先でなぞるようにして遊んでいるが、内心は焦っているのが手に取るようにわかった。

「・・・・・・ったく、しょおがねぇな。俺たちも何か出来ることがあったら協力するからさ」

「本当!?」

将臣がそう言った途端、望美の顔がぱあっと明るくなり、なんともいえない笑顔を向ける。あぁ、この顔に昔から弱かったと思わず苦笑してしまう。

「俺、たち・・・・・・?」

「知盛、こっちに来てから寝るか食うかしかしてねぇだろ」

面倒だと言い出す前に、将臣は牽制してわき腹を小突いた。風が潮を含んで三人の間をすり抜けていく。夕日が海に沈む。

「あぁ、そうだ。お前、明日時間あるか?」

「うん、どうして?」

「ここで世話になってる人の娘さんがな、結婚するからその祝いのなんかを探してんだ」

「へぇ・・・・・それで、あたしがプレゼント探すのに付き合えばいいんだ?」

「そゆこと。頼んでもいいか?」

「もちろん!」

阿吽の呼吸で会話を進めていく中、知盛はじっくりと望美を観察している。
源氏の神子で、還内府の正体を知り、それでもなお戦うという、奇特としか形容できない女だ。射るような視線を投げつけたかと思うと、 次の瞬間には幼さが抜けきれない笑顔で有川と話している。さして抜きん出て美人というわけでもないが、そこいらの娘には感じない何かがある。
明日の待ち合わせを取り決めて、じゃあねと去っていく背中が完全に消えてしまったとき。将臣は両手でその顔を覆い、重いため息をついた。

「何だ、有川?感動の再会じゃあ・・・・・・なかったのか?」

「知盛・・・・・・あいつを巻き込むな」

「あの還内府とは思えない言い草だな」

喉の奥でくっと笑った知盛に、将臣はただ嘆息するだけだった。











裏熊野!!!やっとのんちゃん合流……
しかしちもは動きません。哀れ、まさお