陽炎 7





夕飯が出来たと朔が呼びにくるまで、景時は自室で仕事を片付けていた。片付けていたというより 、消化していったと言ったほうが正しい。こっちの処理能力を考えないで次々と舞い込んでくるも のを止めることは出来ないし、動かしている手を止めたら山は高くなるばかりだし、と言うことで 集中を決めたら最後、ヒノエの思わぬ闖入からずっとひっきりなしにやっていた。

ヒノエの目的は最後までわからずじまいのままだった。何がしたいのか――知りたいのか――わか らないものを考え続けても仕方あるまいと頭を切り替えて各書状とにらめっこするも、時折、ふう と息をついた瞬間に脳裏をよぎっていたのも事実である。

あれ、と呼ぶよりほかない。

そういう人なのだ。





「へ・・・・・え、これが・・・・・・」


差し出されたのはよくわからないけれど、とにかく今まで食べてきた料理とは比べ物にならない匂 いをしている。そもそも、肉を細かく切って丸めるという発想が面白い。そのまま焼いてはいけな いのかと一人、なんだかひねくれたことを考えてしまった。


「はんばーぐ・・・・・・」


言い慣れない単語はこれで発音が合っているのかと、先ほど望美が口にしたままを真似して言って みた。


「そうです。ソースの材料はさすがに揃わなくて和風にしましたけど」
「そーす?」
「・・・・・・有体に言うなら汁、のことですかね」


汁って味噌汁の汁のことだろうかと料理を前にしてまたむやみに考え込んでしまう。しかし右側に 座った望美は、自分の世界の料理が嬉しいのか、それともこのはんばーぐとやらが好物なのか、頬 を緩ませてにこにことしている。

この子が笑っているのはいいな、と思う。平家だ怨霊だと何かと物騒なこの世界に飛ばされてきて 、自ら剣を振るい、毎日稽古を怠ってはいない様子である。厳しい瞳を持ちながらも、少女ならで はのたおやかさを損なわないのはきっと、白龍の加護のなせる業といっていいのかもしれない。


「神子、神子はこの食べ物が、好き?」
「大好きだよ」


望美の正面に座った小さな男の子――女の子にも見えなくはないが――の姿をした龍神は尋ねた。 返答にまた満面の笑みを浮かべている。


「譲くんのハンバーグって、菫おばあちゃんのと同じ味なんだよね」
「そうですか?」
「うん、覚えてるもの」


譲の祖母は菫といい、先日たずねた星の一族の姫と同じ名前をしていた。同一人物かどうかは確か めようがないし確証もないのだが、おそらく、何らかの形で彼らの世界に行ったのだろう。星の一 族の血を引いていると、思わぬことを知った譲自身でさえ未だ半信半疑である。

ようやく支度が済んだのか、全員が座った。いただきますとそれぞれが口にして箸を出す。昼間の 譲のように恐る恐る食べてみると、これが予想を越えた美味さだった。


「おいしいよ、譲くん!」
「そうですか?口に合ったなら良かった」


彼の料理の腕前はお世辞無しにかなりのものだろうと思う。そういうと、やはり困ったように照れ て笑う。よくおさんどんしてたんですよ、と控えめにいう譲には育ちのよさというか、まさしく品 行方正といった雰囲気があった。


「それで、先輩は今日何してたんですか?」
「う〜んとね、朔とこの世界の話をしていて・・・・・・白雪姫の話をしてた、かな」
「白雪姫・・・・・・?」
「あたし達の世界のおとぎ話です」


次々と出てくる耳慣れない言葉に、景時は困惑を隠しきれずに望美に問う。傍らに座った朔は、話 のあらすじを覚えているのか、短く感想を教えてくれる。ふうん、と相槌を一つ打って、景時は話 そのものを請うた。

そして、食事をしながらも引っかかるものに意識を持っていかれるのだ。

殺して、放って、逃げて、殺された。その一連の流れ、何かが違っていることはわかっている。で は何が違うのかと聞かれたらよくわからないと言うよりほかなく、どうして違うのか、という問い かけにも答えられない。

そう、どうして違うと思うのか判らないのだ。


「ええと、白雪姫っていうのは――継母がお姫様の美しさを嫌って、城からおいだすところから始 まるんですけど」
「・・・・・・ずいぶんな継母だね」
「ひどい継母なんですよ」


と、望美は怖い顔をして見せた。彼女の正面に座っている白龍は昼間に一度聞いているであろうに 、ふんふんと熱心に聞き入り、それからと話を促す。

周囲の話を聞く限り、あの親子は上手くいっていなかった。けれど、父は息子を追い出そうとせず 、何か模索していた感が伺える。両者とも故人となってしまった今、何をしようとしていたのかは 知る由もなけれど、関係を修復しようという努力があったことは認められる。


「お城から遠く離れた森に追放されてしまった白雪姫は、そこで七人の小人と出会います」
「七人の・・・・・・小人?」
「そう、小人です」


童子の類かな、と景時は想像してみる。子供が七人身を寄せて暮らしていたのだろうか。それはそ れでなんだかやるせない。


「しばらく小人と幸せに暮らしていた白雪姫ですが――継母は彼女が生きていることを知ってしま います」
「へぇ」
「それで、今度こそ殺そうとあの手この手でやってくるんですね」


今江の話に不自然な点はなかったはずだ。隠れて調べてみたところ、哉道と今江の間になんの関係 もないという報告が入ってきた。

今江は言った。死んでいるところを見たのだと。仰向けに倒れた哉弼の体に、衣がかかっていてそ の上から刀が刺さっていた。彼の周りは血まみれで、もうその光景に耐えられずに気を失ってしま った。部屋の中は乱れていない代わりに、彼の寝床である御帳台の中はひどいものだった、と言っ ている。


「継母はどうしたの?」
「老女に姿を変えて、毒を仕込んだリンゴを食べさせるんですよ、白雪姫に」
「・・・・・・え」


望美の話を引き取った譲が先を言う。へえ、と松葉色の瞳を彼に向けると、少し苦笑した。有名な 童話なのだと教えてくれる。

老女に化けた継母に騙されて白雪姫は毒リンゴを食べてしまい、死んでしまう。そこまで聞いても 景時はまだ物語の終わりが予想できなかった。景時が箸を口に運ぶのも忘れて聞き入っていると気 恥ずかしくなったのか望美は困ったように笑って、食べてくださいと言った。


「それで、悲しみにくれた七人の小人達は白雪姫を棺に入れてお葬式をしようとするんですね。そ こに、一人の王子様が通りかかる」


譲の、まだ少年臭さが残る声は物語の先を語る。異国の物語だと先に話を聞いていた朔が前もって 教えていてくれたのだが、その「王子様」とやらの想像が全くつかない。王子様は死んでなお美し さを失わない白雪姫をどうしても城に連れて行きたいといい、小人達はこれを了承する。


「城に棺を運ぼうとすると、とある小人がけつまづくんですね。その拍子に、ぽろっと姫の口から リンゴの欠片が飛び出てくる。で、白雪姫は息を吹き返し、王子様と結婚してめでたしめでたし、 という話です」
「ぽろっと」
「そう、ぽろっと」


――息を吹き返す・・・・・・


趣が違う話しもいいわね、と朔は一度聞いているであろうに満足そうに笑い、でしょうと望美は返 している。景時以上に夢中になって話を聞いていた白龍ははっと我に返り急いで食べ始めた。


――息を吹き返す・・・・・・か・・・・・・


景時は、じっと自分の両手に視線を落とした。
和やかな食事の席である。
急に腹の底が冷たくなって、喉元をなぞるようにして落ちていくものを感じながらも、一定の方向 に流れる考えを止めることは出来なかった。自分を取り巻くあらゆる音が一気に遠くなって、代わ りに視界がやけに明るくなるようなこの感覚。目の前の靄が一陣の風に吹き流されて一切を鮮やか に見せるのは、全部が一本に繋がったときの感覚だ。


「・・・・・・げときさん?」
「・・・・・・」
「景時さん?」
「――・・・・・・あ」
「どうしたんですか?急に黙り込んじゃって」


心配そうにこちらをのぞきこんでくる望美の瞳があった。その中に映る自分の顔を、どこか虚ろに 見返しながら、なんでもないよと笑顔を浮かべた。





その勝負の場にいるのは女と男だけになってしまって、あとは取り巻いているだけである。周囲に なぜ見ているのかと聞いてみると、半分は「どうなるのか見てみたい」と答え、後の半分は「行く 末なくした男を見届けるんだよ」と答えるだろう。どちらにしろ悪趣味極まりないが、ここはそう いうところなのである。それを忘れて深追いしてしまった男が悪い、という空気が漂っていた。

だが、男はそれどころではない。勝ちを重ねてきたと思っていたが、気がつくと負けのほうが大き かった。取り返しがまだつく、次の勝負で勝てばイケる、とそう思って賽の行方を追えば、哀れな 男に運は向かなかった。


「おニイさんよ、アンタ、まだやンのかい」
「・・・・・・うるせぇ」


引き返すことも出来ず、男は配られた札をめくる。三枚で一つの役を作り出すそれらはなかなかい い手だった。札を交換する機会は一度きり。兎を切り捨ててもしも貴族が回ってきたら上を行くが 、このままの役でも十分勝ちを見込める、という割ときわどい役でもある。

しかし、男に選択の余地はない。なるべく早くに大勝をおさめてさっさと負けた分を取り返さない と――

男は膝の近くに置いた木札を見る。全額である。そのまま目だけを動かして、親の膝近くにある木 札を見る。倍以上ある。ほとんどを巻き上げられた。

勝負、と言って賽を振り、札をあける。男の勝ちである。木札がちょっとだけ増えた。だが、女の 前にある量を見ると、負けていることに変わりないことは一目瞭然である。次の勝負も男が勝った 。その次も、だった。男が勝ちを上げるたび、周囲はつまらないと溜息を漏らした。それがまた、 男に火をつける。


「へへっ」


際どいところを切り抜けて気持ちに余裕が出来たのか、男は汚い笑いを浮かべた。崖っぷちでたら らを踏んで辛うじて回避したに過ぎないのに、ぎらつく男の目は次の一番を狙っている。このとき 、彼にもう少し周囲を――いいや、女に浮かんだ薄笑いを見る目があればよかったのかも知れない。

















景時の思考回路がわからない
ドリアとてんぷらとオムライス出来るんだからコレくらいできんだろー
ってことでハンバーグ。