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陽炎 8





この世は陽炎となんら変わらぬ、と言った人間を知っている。

あると思えばなく、無きやと思えばある、あると見せかけて無きに等しく、無いはずなのにある。 有と無の間に一体何の境があるのかと、半分冷めた面持ちでその人物は言った。

そのときの景時はまだ少年の青臭さが抜けていなくて、そのくせ大人になりたくて仕方ない時期で もあった。時折実家から届く文には母の、明るい話題を持ち出そうとして拭いきれない影を見てい たときでもあって、実際に大人になれと迫られると背中に迫る恐怖と言うか不安と言うか、とにか くそんなものが付きまとって、大人になりたいのになりたくないというような、そういう年頃だっ た。

有るんだから有るんだろう、唐突に降ってきたこ難しい問いかけにそう返すと、話し相手は片頬を 器用に歪めて、こちらを揶揄しているかのような笑いを見せた。


「――じゃあ、有るってのはどういうことだい」
「だから、有るんだから、有るんだよ」
「ここに一つの石が『有る』ね。では、こうやって――」


――と、話をしていた人物は足元の石を何気なく拾い、思い切り遠くへ投げた。投げられた石は、 それはそれは綺麗な放物線を描いて塀の向こうへと飛んでいき、どこかに落ちた音もせず消えてし まった。話し相手はにっとからかうようにまた笑い、こう言った。


「『無く』なってしまった。けれど、あの石はどこかに『有る』。でも、今ここには『無い』」
「・・・・・・」
「けれど、ここにはその他の石が『有る』。その石以外ならいくらでも『有る』。でもその石は『 無い』」


夕暮れだった。何回やってもうまくいかない修行をくりかえし、お師匠の小言からもやっと解放さ れた一日の終わりだった。けれど、その輩は修行に匹敵するかと思われる位の、ややこしい問いか けをするのだ。

景時の視線よりも低い位置から見上げるその人の瞳は、しかしながら他意や悪意の類は見つけられ ず、ただ純粋に問いかけているようであった。やけに印象的な、勝気で切れ長のその双眸から己同 様、幼さと言うか若さが持つなんともいえない危うさを醸しながら、再び同じ質問を投げつけられ た。


「有るってのはどういうことだい」


その問いに、答えは未だに出せないでいる。






寝待月をじっくり見上げているその横顔は、なんだか気が抜けているようでいて、その実、両目の 見せる厳しさに思わず声をかけるのを躊躇ってしまうような、普段はへらへら笑っている人でも、 一派の軍を取り仕切るだけの実力を持った人なのだと気付かせてくれるだけの気配を持っていた。


「――何の用かな」
「気付いてた、か」
「そりゃあね、気配殺しててもあるものはあるからさ」


そうかい、とヒノエは面白くない顔を一つ作って、濡縁から出る階に座っている景時にまた一歩近 付いた。大方、帰ってきたところなのだろう。夕方に言葉を交わしてから姿を見せなかった彼は、 幾分か疲れたような面持ちだった。

そして、そのときの会話から察するに、彼は真相に感づいている様子でもあった。だから、景時は あえてどこに行っていたのとは聞かない。そしてここをねぐらとしていないから、お帰りとも言わ なかった。ヒノエは景時の視線を一時、真っ直ぐに受け止めてから口を吊り上げ、ゆっくりと不敵 に笑った。


「話は早そうだね」
「申し訳ないけど、君を連れて行くわけにはいかない」
「――ふうん、オレが連れて行けって言い出すとでも?」
「じゃあ、君がどこに行っていたのか言い当ててみようか」
「・・・・・・」


赤い髪と瞳を持つ、綺麗な顔立ちの少年は黙り込む。夕方に見せた、年不相応とも言える雰囲気が 一気に彼自身を包み込んで、そこには甘さや妥協と言った緩さがなくなった。警戒したことを感じ 取った景時は、一回だけへらっと笑い、それをきっかけにしてヒノエの瞳が鋭さを増す。


「――外にいたわけじゃないね・・・・・・多分、空気が篭っているところだ。ひょっとしてずっ と座っていたのかな。立ちっぱなしだったということはないかな」
「なぜそう思う」


南庭に続く階に腰掛けている景時は、濡縁に立っているヒノエを見上げている。二人の間は人三人 分ほど空いていて、月が照らし出す影は、昼間のそれと違って一層硬質さを纏った青白い影を地面 に落としていた。風はなく、全てが停止したような夜の闇は、月光が届かないところでぱっくり口 をあけている。


「衣に皴が強く残ってるからさ。ついでに複雑な香の残り香――大人数でたむろしてなきゃそんな 匂いはつかないよね?」
「・・・・・・」
「ついでに、そこに長く居ただろう。酒の匂いもする」
「・・・・・・犬のようだね、アンタ」
「そ。オレの鼻も捨てたもんじゃないでしょ」


またへらっとして見せた景時は、その頼りない笑顔とは裏腹に、どんどん瞳の奥が冷えていった。

ヒノエ自身も景時の香に対する深さを知っている。先の一件で重要な取っ掛かりをくれたのは、彼 の言葉だった。それを思い出したときにはもう遅く、失念していた自分を恨むより他ない。苦い感 情が胸の内に広がるが、顔に出したほうが負けだといわんばかりに表情は一切変えず、景時の先を 待った。


「それから、焦げ臭いような香ばしいような。これは――紫煙、かな」
「・・・・・・」
「割と悪い結果は出なかったみたいだね。じゃなきゃここには来ない」
「・・・・・・」
「会ってきたんでしょ、あれに」
「・・・・・・そうとは限らないぜ」


ヒノエは景時の断定を否定しなければ肯定もしなかった。そもそも、景時の推察はあくまで推察で あって、ヒノエ自身も推察を否と言うだけのものを持っていない。そんな状況で違うと言い切れば それは逆を示すようなものであるし、そうだと言えば何をしに行っていたのか口を割らされるだけ のことである。

夕方と立場が逆転している。景時は、ヒノエがどこにいたのかわかった上で遠回りしながら迫って きた。その、目的はなんだろう。


「・・・・・・アンタ」
「まぁ、こっちもヘタに手出しできないからねぇ」


何かを言いかけたヒノエを遮って、景時は表情を崩さないままでいる。

どうしようか、と景時はどこかのんびり言った。


「まぁ、会って話してみなきゃわかんないしね」


やっぱりへらっとした表情のまま景時は立ち上がる。月明かりに浮かび上がる長身は整っていて、 ゆらりとしたその姿は、紛れも無くこの激動の時代の中心に立つだけの人物なのだと肌で判る。

並大抵の神経と脳みそでは鎌倉の膝元で仕えは出来ない。ヘタをしたら敵味方関係なく取って食わ れる。それが嫌と言うほど身に染みているヒノエは、だからこそここ京で双方の同行を探っていた のだ――今のところ、彼の本当の目的は嗅ぎつかれていないようではあるが。

完全に庭に降り立った景時の右肩あたりを見て、それから腰に備え付けた彼特製の銃に目をやる。 後ろから見た彼の背中は、己のように漠然とした脆さとか不安定さが一切なく、それは一個体の男 性として完成された背中だった。骨格や筋肉は成長しきり、これから伸びるという気配はない。

彼が御大将の預かり知らないところで汚い仕事に手を染めていることはとっくに知っている。その 内容も想像に難くない。普段、良く笑って彼の周りの人間が気を荒げないように配慮するときの彼 ではなく、それは、一枚何か大切な衣を脱ぎ捨てたときのような、そぎ落とされて戦に相対すると きのような、誰にも隙を見せない唯の軍人の姿があった。


「なぁ景時」
「うん?」
「あれと、どんな話をするつもりだい?」


ヒノエの質問にしばし沈黙を守り、それでも振り返ることなく彼は、心持低めの声で答えた。


「ちょっとした昔話をしに、ね」


ついてきちゃダメだよ、と念を押して振り向いた顔は普段となんら変わらぬくせに、正面に向き直 るその一瞬、たった瞬き一つの間に彼は彼の顔になった。


「・・・・・・どの話をしてくるってんだ」

後に残されたヒノエの呟きを、寝待月はぼうとして受け止めていた。

















景時VSヒノエ第二回戦
うーん、今回も失敗フレーバー出てますね。いい感じ。
さて、オリキャラさんと対決、次回は解決編です。