陽炎 3
話は二週間ほど遡る。
哉道を当主とする一派は長年梶原に仕えてきた一門である。梶原党の中でもかなりの古株であり、
一体何をきっかけにどれくらい仕えているのか、もう誰もわからないくらいだった。だから景時が
平家から源氏に乗り換えたときもついてきたし、彼らとの付き合いは欠かしたことがなかった。景
時にとっては父親と同じくらいの年の男である。
彼には息子が二人、娘が三人いた。長男は家督を継ぐ身として早々に周りを固め、今年の春に待望
の息子が生まれたということだ。このとき、梶原からも景時を名義人として祝いの品を贈っている
のでよく覚えている。つまり、哉道には孫がいたことになる。
「これで哉弼の嫁が見つかれば言うことなしですなぁ」
と、武家人らしく、哉道は大いに笑ったという。哉道は根っからの武士であった。きっと、九郎が
このまま年をとればこんな風になるんじゃないかと思ってしまうほどだ。戦場にもなれ、陣頭指揮
も自らとる――それは、彼の左頬の古傷が示していた。昔、敵の奇襲で矢を受けたのだ。肉が引き
つってくっつき、何か物を話す度に唇は不自然に歪む。声を年中張り上げているせいかがらがらに
割れて、意識していなくても彼の声は大きく、どこまでも通った。
雪が解け、宇治で平家の残党を追っ払って後、京に戻りそして部下ともども十分に休むようにと伝
令を出した。これに哉道はお心使いありがたくと頭をたれて受けたものである。そして、月が改ま
る直前、景時の下に訃報が舞い降りた。
哉道の次男、哉弼が死んだのだという。
「しかし・・・・・・その遺体は忽然と消えてしまったのですよね?」
「うん」
弁慶の問いかけに、景時は記憶を探りながら頷いた。
「発見した女房が人を呼びに行って、戻ってきたときにはなかったと」
「そうだよ。そして、消えたのは死体だけではない」
そう、哉弼の死体とともに哉道も姿を消していたのだ。屋敷は当然、大変な騒ぎとなった。上を下
への大騒ぎ、畳をひっくり返して御帳台の布を全部取り払い、屋根の上、床下、全部調べた。言う
べき者が言わなければ瓦一枚一枚を取り外しかねないほど、哉道の妻は錯乱し、長男は焦った。な
ぜならば彼らにとっては醜聞以外の何物でもなく、外部に漏らすべきことではなかったのにも関わ
らず、駄々漏れしてしまっていたからである。
漏らした人物は特定できなかった。もちろん、彼らの主である梶原には一報を入れておいたが、景
時とて阿呆ではない。不用意に口に出すということはなかったし、それ以外何があるかと言われれ
ばコレと言って思いつかない。さらに悪いことに、当主であり父親である哉道と哉弼は仲が最低の
最低、もうこれ以上どうすればいいのかわからないくらい仲が悪かった。このことが決定打となっ
て哉弼を殺したのは哉道だという結論になったのである。
しかし。
「これでは振り出しに戻ったようなものですね」
「うん・・・・・・哉弼殿の殺害に関しては哉道殿を下手人として決着がついてるわけだし」
「だが、その哉道殿が本当に殺していないというわけでもあるまい」
「・・・・・・どういうことですか、九郎さん」
譲が輪の中に入り、視線を流せばそこには渋柿を口いっぱいに頬張ったような表情の九郎がいた。
本当は、親子のこんな事件についてなど頭を回したくないのだろう――彼の父は、先の戦で破れ、
帰らぬ人となったのだ。そしてやはり回りくどい言葉を全部省いて可能性を言った。
「夜盗に殺されたか、あるいはうろつく平家の残党に目をつけられたのかもしれん」
「まぁ、有り得ないとは言い切れませんが・・・・・・どうです、景時?」
「哉道殿がご子息の哉弼殿を殺害し、死体をもって姿をくらます。そして逃げる途中で誰かに襲わ
れた、っていうかんじかな・・・・・・」
長くて骨ばった手を顎に当てて景時は首をかしげる。何かおかしいと頭のどこかでもう一人の自分
が言っているのだ。己の言葉を己自身で聞いて、すぐにわかるほどの違和感はない。だが、やはり
何かがどこかで確実にすれ違っているような気がしてならないのだ。
哉道は根っからの武士なのである。
「確かに、言い切れないね」
――根っからの武士が、逃げ出すものか?
答えは否である。九郎を見れば一目瞭然、敵前逃亡の四文字など浮かべたことがないだろう。戦略
的撤退は恥ではなく、多くの命を預かるものとして当然の選択である。つまり、逃げを前提とした
戦以外、背中を向けて走り出すなんてことは皆無に等しいのである。
今回の件について当てはめを試みる。
――変だなぁ・・・・・・
そう、これこそが、訃報を聞いた景時の第一印象なのだ。
九郎と弁慶、もちろん譲よりも、景時のほうが哉道についてよく知っている。自分が生まれた時は
わが子が誕生したかのように喜んだものだと母から聞いているし、京に上って陰陽道を修行すると
言い出したときも、哉道は最後まであれこれと案じてくれたものである。よく言えば情に篤く、悪
く言えばのめりこみが過ぎる。
――そんな男が、息子を殺して逃げる?
変だ変だと思いつつも戦のきな臭さが濃厚になっていって、望むと望まざるとに関係なく指揮を執
らねばならない日々が続いたのだ。戦術と渉外の中に違和感は埋没していって、今日に至る。
それが、こんな形で目の前に突きつけられるとは予想だにしていなかった。
いや、予想できていたほうがおかしいのだが。
「あの・・・・・・景時さん、そのなりのり・・・・・・さんですか、彼は一体どこで殺されたん
ですか?」
「どこって、譲君、そりゃあ哉道殿の屋敷だよ」
「屋敷の中で?それとも外ですか?」
「報告によると、中で、らしいよ」
それがどうかしたかと景時は聞く。すると譲は変ですね、と景時の第一印象と同じ事を漏らした。
眼鏡とやらの奥で、薄い緑色の瞳が考え込んでいる。聡明さをそのまま現したかのような眉をきっ
と引き締めて、ゆっくりと口を開く。
「そもそも、本当に誰かを殺そうと思ったら、自分の家でやるとは思えないんです」
「確かに言えるな」
「だけど、ついカッとなって・・・・・・とも考えられるでしょう?」
九郎はもっともだと言いたげに頷き、弁慶は幾分か楽しそうな響きを持たせて譲を促す。対して譲
は、床の板目に瞳を落としううんと唸った。そして、一瞬考えてすぐに面を上げる。
「だとしたら、なぜ哉道さんは姿を消したんでしょうね?」
「・・・・・・それは、逃げるためにじゃないかな」
「なら、もっと遠いところで発見されているはすじゃないですか?大原なら――ここから一日あれ
ば行って帰ってこられる」
「う〜ん、確かにね」
譲のもってきた茶で口を潤しながら、今度は景時が唸った。一緒にお茶請けの、それも彼特製の焼
き菓子――くっきぃというらしい――を持ってきてくれたのだが、あいにくだが食べる気にはなら
ない。九郎の無骨な手がいきなり伸びてきて、おもむろに一つ掴んで口の中に放り込んだ。
「・・・・・・水分が持っていかれる菓子だな」
だがうまい、と短く感想を言って茶をすする。
かぁと烏が啼いた。屋敷の中で人が行き来を繰り返す音がする。話の内容が内容なので一応人払い
をしてあるが、この部屋だけ、どうしても世界から切り離された感覚がある。どんよりとした何か
重たい空気が下のほうにあって、そのせいで呼吸も重たくなってしまう。
「それで、哉道さんは刀で殺されたんですよね?」
「うん」
「哉弼さんは、どうなんですか?」
「えー・・・・・・っと、それは知らないなぁ」
しばしその場の一同が停止した。九郎はまん丸に目を見開いて、譲はあんぐりと口をあけてしまっ
た、ついでに弁慶にいたってはあきれを通り越した視線を寄越すだけである。ごめんと口をついて
出たが、景時はその場のあんまりな反応に飲まれて反射的に言ったに過ぎない。
「・・・・・・景時」
「な、何、弁慶」
「そんな肝心なところがわからないまま僕達を呼びつけたんですか?」
弁慶の笑顔は朔のそれを上回るかもしれないと、景時はこのとき初めて知った。先日の事件の片が
ようやっとついたばかりなのは良く知っている。お陰でヒノエは東西奔走し、弁慶は裏合わせに頭
を振り絞り、その間に溜まって行く仕事を九郎と分担して消化していったのだ。
はっきりいって、誰もが忙しかった。いや、現在進行形で忙しい。
「なぜ、も重要ですが、どうやって、も外せないんですよ?」
「いや、うん、それはね、ほら」
「確かに、方法がわからなければ出来る話もできませんね、景時さん」
「そ、そうだよね、うん、そう思うよ!」
変わらぬ笑顔を顔の表面に貼り付けて静かに、それはもうひたひたと迫り来るような迫力を醸し出
す弁慶と、自分よりもずっと年下なのに呆れの溜息をついている少年。彼ら二人に挟まれて、景時
は再びごめんと口にするしかなかった。
「とにかく、この件についてはそのことをはっきりさせるのが一番だな」
「でしょうね」
「そうですね」
九郎が膝をひとつぽんと一つ叩いて言う。
「では景時に宿題と言うことにして、僕達は戻りますね」
「え・・・・・・」
「うん?何か問題でもあるのか、景時」
すまんな、こっちも立て込んでいるんだと九郎はあっけらかんと言い、弁慶はええと隣で笑った。
ちらと見やれば譲は苦笑するばかりである。長い中指を眼鏡の真ん中に当て、ずり下がった眼鏡を
元の位置に戻して、景時を救った。
「調べましょうか、景時さん」
少なくとも、同じ白虎の彼は見捨てないでいてくれるらしい。
女がその場にいた六人の男に配った札は絵柄が八種類ある。貴族、僧侶、姫、農民に加えて鹿、鶯
、兎、蛍が描かれており、白と黒で札面を構成する。ちょっとややこしいことに、貴族と僧侶と姫
の札に関しては三種類、他の五枚には四種類の札がある。つまり、合計二十九枚の札があることに
なるのだ。
そして手の中に持った賽は大小二つ。小さなほうは親しか使わない。大きなほうは子である彼らの
運命を決定する賽である。
賭けの方法は簡単である。親と子、それぞれが三枚ずつ札を持ち、振った賽の目とかね合わせてど
ちらが強いか、で決定するのだ。
配られた札には役がある。三枚で一つの役を作り出し、そこに賽の目を加えて勝負する。賽も札も
、自分のところにきて開けるまでわからないのだからどこまでも運任せである。もっとも、賭博を
やっていて運に任せない部分があるのかといわれたら、大部分は否であろう。
「おや、オニィサンのは『狩り』だネ。そっちは『春霞』かい。こっちゃただの『農耕』だっちゅ
うに」
「へへ、運が向いてきたかもしんねぇなぁ」
「悪運だけ強くッたって意味がないもんサ」
「ケッ言ってら」
その賭けの親になっている女は負けたというのに余裕の面持ちで勝った男に金を配る。切れ長の、
勝気な瞳が笑みの光を放ち、相変わらず良くわからない――いまひとつ読みきれない。
「逃げ回ってた神様とっ捕まえたって、捕まえたと思ったそンときにゃまた逃げるモンさね」
気をつけな、といいながら次の勝負に移る。