陽炎 2





朔から文を受け取って後、仕上げねばならない仕事があと一息で終わる、というところで九郎と弁 慶がやってきた。見える景色はまだまだ明るいが、良く見れば西の空が赤らんでいる。結構経った な、と景時がぼんやり思って眺めていたら、向こうから譲の姿が現れ、ふと表情が緩んだのが分か った。

彼は自分の対の少年だという。眼鏡――細い針金を曲げて作った輪ッかの中に薄いガラスが填め込 まれていて、景時はそれをはじめて見た――をいつもかけていて、自分の身よりも白龍の神子であ る望美の身を案じている少年だ。自分の対にしておくには勿体ないくらい、しっかりした少年でも ある。


「あ、景時さん。今呼びに行こうと思ってたんです」
「ああ、聞いてるよ。九郎と弁慶が来たんだってね?」
「二人とも待ってますよ」


こんな風に、何気なく笑うときに彼は相応の幼さを見せると思う。常にこの世界――文字通り、彼 と望美を取り巻くもの全て――に対して警戒を解いてはいなかった。ようやく、最近になってこち らのことを心から信頼してくれるようになったのだ。

まぁ、それは、九郎のところにいる那須与一を紹介したのも大きいかもしれないが。


「・・・・・・?何ですか?」
「いやいや〜別に、ね」


苦笑の中に考え事を綺麗に隠して、景時は立ち止まってくれた譲を伴って歩き出す。一歩進める毎 に緑の匂いがする。自然の匂いだ。廂を通りつつどうでもいい会話をしていると、譲のいた世界と こちらの世界の違いに興味をそそられる。わざわざ墨を用意しなくてもいい筆記器具、夜になって も火を使わなくていい照明、好きなときに湯を沸かせる風呂。

どんな仕組でそうできるんだろうと景時はつらつら頭を回す。一度、あまりに聞くので譲と望美に 辟易されてしまった。彼らは操作方法は知っていても仕組までわからないのだという。


「で、何かあったんですか?九郎さんと弁慶さんを呼びつけるなんて・・・・・・」


まさか戦ですかと神妙になって聞いてくる彼に、景時はどこまで話したものか思案しながら言葉を 紡ぐ。あんまり聞いて気分の良くなる話ではない。むしろ、彼らのような、平和な世界の人ならば 耳をふさいでしまうだろう。


「う〜ん、ちょっと厄介でね。まぁ、行方不明者が見つかったんだ」
「行方不明者、ですか」
「うん、二週間前になるかな。それだけの話」


そうですか、と譲は頷くが、聡明な彼は逃さず聞き返してきた。


「でも、それでどうして厄介なんですか?見つかったならむしろ良い事でしょう」
「ああ、まあそうだね」


それは、発見された人間が生きていた場合の話だ。





お待たせ、と景時が言えば遅いという九郎の苦言と仕事は終わりましたかという、弁慶の笑顔の脅 迫が挨拶代わりである。そして、これらにもあははと曖昧な笑顔で答えるのはやはり景時ならでは と言っていい。

譲は何か飲み物持ってきますと一言言い置いて姿を消す。その背中がちゃんと消えてから景時は二 人の前に座った。

「で、お前からの文で大体のことはわかったが、哉道殿が発見されたそうだな?」


単刀直入に、前置きも閑話も全部すっ飛ばして簡潔に九郎が切り出した。景時は床に腰を下ろしつ つ、一通の手紙を差し出した。もちろん、昼に朔の手からもらったものである。


「まずは、コレ読んで」


眼差しに真剣味が混じり、声も幾分か低くなる。凛とした視線は軍奉行を司る者が持つ厳しさで、 これから起きるであろう事態に対して幾許かの妥協も許すものではなかった。


「差出人は屋敷の者から、ですか・・・・・・ふうん・・・・・・」
「見覚えのある筆跡だから捏造じゃないね。改めて確認を取ったけど、事実は事実だよ」
「何て返ってきたんだ?」


書面に落としていた視線を軽く上げて九郎は訊ねる。事の真偽を問うその瞳に、景時は一息置いて から答えた。


「損傷激しく、人相崩れるも当家当主に相違なし。左頬に受けた矢の古傷が証なり、だってさ」
「では、発見されたのは哉道殿と考えていいわけですね」
「まぁね」
「そうか・・・・・・」


軽く肩をすくめた景時に対し、九郎は少し沈痛な面持ちで返答を受け止めた。もっとも、景時にと っては九郎ほど感傷に浸る暇はない。本当に、厄介なのはここからなのだ。


「遺体に袈裟の刀傷を認める、って書いてあったよ」
「・・・・・・どういうことだ」
「つまり哉道殿は誰かに殺された、ってことですか、景時?」
「そうだね。自分で自分に袈裟切りは出来ないから」


左肩から右わき腹にかけて一刀両断してしまう傷である。剣術を習う者なら一番に覚える致命傷で あり、絶命に至るにはたやすい。よって、哉道という男は誰かに殺されたという結論が出る。この 事実が、少しばかり「厄介」なのだ。


「困ったな、景時」
「だから厄介、なのですね」


二人して同時に口を開く。ただ「困ったことになった、すぐに来て欲しい」という言付けとあらま しを記した文しか持たせなった景時は、頬を掻いて視線を逃がした。弁慶の両肩あたりから漂う雰 囲気が怖い。

だがしかし、いいよ面倒臭いことだからと蓋をしておける事件でもないのだ。哉道は景時の忠実な 部下であったし、彼の息子とてここにいる全員と面識がある。結局、彼は溜息と一緒にこのことを 言わなくてはならないのである。


「そうだよ――ご子息である哉弼(なりのり)殿の下手人が判らなくなったんだから」


屋敷の外の風景はのどかで穏やかそのものである。まるで、絵に描いたかのように草木は生い茂り 沈みゆく太陽の光を惜しんで勢いを増してゆく。伸びる影が一層色濃くなって、逆に光の存在を知 らしめる。


「ですが、それも確定したわけではないでしょう。そうである可能性が高い、というだけで」


弁慶の言葉に、景時はうんと頷いたのだか手を首にやったのだか知れない動作を見せた。単純に首 筋がかゆくなっただけかもしれない。

いかんせん皐月は空気が乾燥する。しかも雨の日が少なく――後白河法皇が雨乞いの儀式を繰り返 すほどなのだ――からりと晴れ渡った空はさわやかとしか形容できない。そして、そんな空の下で 引きこもって書状とにらめっこせねばならない自分が厭になってしまう。


「でも、否定材料が出てこないのだろう」
「それは、まぁそうだけど」
「否定材料が出てこないから真実だ、とは限りませんよ、九郎」
「しかしだな・・・・・・」


九郎はややこしい方向に頭を働かせたくないのか、はたまた戦続きで思考回路が疲弊しているの か、早々と答えを出そうとしていた。本来実直で騙すとか篭絡するとか、そういったことに不慣 れなこともあるのだろう。九郎に苦笑一つ零して、弁慶は景時に尋ねた。


「哉道どのの屋敷から、他に何か言ってきませんでしたか?」
「ないよ。向こうも大慌てだったからね。早馬があんまりにも泡くってたからうちから一頭貸し出 したくらいだよ」


使いの者が汗を、それはもう留まることを知らぬくらいにだらだら流しながら話したところによる と、発見されたのは今朝のことだという。大原のほうに用事があってゆき、その川原で横たわって いるのを見つけた、というのだ。

京の治安が荒れて荒れて仕方ない昨今、そんなものはさして珍しいことではないが、従者は死体の 袖に見慣れた家紋を認め、近寄ってみたのだ。そうして、それが己の家の主かもしれないというこ とで屋敷に戻った。改めて確認し、当主の哉道ということがはっきりして――今に至る。


「う〜ん・・・・・・」


両の眉毛を頼りなさそうに下げて、景時は一つ唸る。いまいちしっくりこないのだ。前に座ってい る二人も何となく察したのだろう、弁慶は琥珀色の瞳をふと緩めて場を和ませた。


「手元にある情報が少ないですから決定的なことはいえませんね」
「そうかもしれんな」


九郎は相変わらずの顔で一つ頷き、文を返してもらって息をつく。結構長く話していたかと思いき や、そうでもないようだ。ふと掠めた風に外を見れば夕暮れと言うわけではなく、茜の色がまだ西 の空に留まっている頃合である。


「一度、きちんと事件を整理してみましょうか。わかることと、わからないことと」


軍師を預かる弁慶ならではの建設的な意見だった。そして、残る二人がそうだと同意したと同時に 、入り口のほうに視線を向ける。


「・・・・・・弁慶?」


どうしたと九郎が聞くので彼はゆっくりと微笑み、いつもの、あの食えない表情を見せて呼びかけ た。入り口で、話の切れ目を待って入ろうとして出来ない少年に向かって。


「というわけで、君も一緒に考えませんか、譲君?」





わあわあと男たちの声がする。罵っているのか怒声を張り上げているのか、悪態をつくその言葉は 聞くに堪えない。夜も昼も関係ない彼らは当然、外界で何が起きているかなど頭の中に入れる必要 もなく、目の前で増えたり減ったりする持ち金に意識の全てを注ぎ込んでいた。


「甲がヨン、丁がロクだね――さっさとだしな」
「へぇへぇ・・・・・・たく、やってらんねぇぜ」
「おひょーお、オレ、こんな金持ったことねぇ!」


その場の中心にはあの女がいて、遠くのもう一つの人だかりにはあの爺がいる。取り巻いている彼 らに、一体いつこの人が親――もちろん、賭博の、だ――になったのかと聞いても無駄だろう。全 員残らず、


「あぁ?わかんねぇよ、ンなこと。うるせぇな、どっか行けよ。邪魔するんなら容赦しねぇぜ」


と追い払われるのがオチである。いいようにあしらわれてついでに酒をもってこいと言われるのが 関の山だろう。なぜなら賭けに興じているからには親が誰であるかなんぞ気にしない。海千山千の 男たちはお世辞にも柄がいいといえたもんじゃなかったが、ここにいる限りは絶対安全を保障され ている。

そう、持ち金が空にならない限りは。

すっからかんになったら最後、人生が終わる。それはここにいる者全てが肝に銘じたことであり、 老若男女問わずに適用されるのだ。

酒の匂い、臭い男の匂い、行き交う女がつけている白粉の匂いに混じって、煙管から吐き出される 紫煙の香りがした。現在、親になっている女が吐き出したのだ。不敵な笑みを浮かべて次の札を配 る。伏せた椀と賽を手に持ち、勝負が始まるのだ。


「せいぜい頭絞ッて賭けな――」


赤い唇はふふと笑って、賽を振った。
















きっと源氏の軍議はこんなかんじじゃなかろうかと。
それにしても譲が久しぶりすぎる。
望美はいつ出てくるんだ!