なんだ、随分と――

男好きする顔じゃアないのさ




陽炎





女と爺が話している。向かい合って話しているわけではない。周囲の雑音を気にも留めず、幾分か さめた面持ちで二人並んで、負けたの勝ったのと騒ぐ群衆を見ながら話している。


「なんだい、しばらく来ないうちに厄介な荷物抱えとるのぉ」
「アン?」
「面ァ見りゃ分かるわい――ありゃあ火種ンなる」
「アァ、アレかい。まぁいいのさ。金があるうちゃア腐ってもお客、だろうがい」


女の言葉に、爺はかかと笑った。一見するとただの好々爺にしか見えないが、しわに隠れた瞳は真 っ黒だ。鼻の下に可愛らしい髭をこさえて、顎の下から伸びているほうは首を越えて鎖骨まで届き そうである。御伽草子に出てきそうな爺の姿をしていた。

対して女は男装を着崩して煙管を咥えている。高めに結った髪は腰まで届くほど豊かで、なんと言 っても勝気で切れ長の双眸が目立つ。美人の部類に入るのだろうが、なぜか、美人と形容させない 何かがあった。


「ちげぇねぇ。いやいや、全く恐ろしいね、四代目」
「そう育てたンはアンタさ、御爺」


壁に預けていた体重をくっと戻し、先に爺のほうが立ち上がる。向こうの人だかりでわっと歓声が あがり、親になっている人間の顔色は白い。無表情といっても良かった。爺の視線の先は何にもな かった。

背後で不意に笑う気配がして、爺が振り返ると、女は愉しくてならないという顔で笑っていた。煙 管を持っていないほうの手は酒が満たされた杯を持っていてそれを一気に飲み干す。呆れたように 彼は溜息をつき、そして案外抑揚のない声で言った。


「血なまぐさいねぇ」
「あぁ、全くだネ――まぁ、うちにゃア関係ないさ」
「関係ないかね」
「ないさ。あったところでどうするわけでもないだろ」


勝手にやっとくれ、と優雅に言い置いて女は先に雑踏に紛れた。

不思議なものである。今までのように傍にいれば、その存在感で喉を塞がれるようなのに、いった ん紛れ込むと気配が消えてしまう。爺は満足げに笑みを浮かべ、また彼も人の山に紛れて行った。





宇治で木曽を追い払い、平家とひと悶着起こして何とか帰ってきた京は、どことなく安堵したもの だった。そこで「白龍の神子」なる少女と八葉――「白龍の神子」を守る存在だとうっすら文献で 読んだ記憶がある――の一人である少年に出会った。そして、神子いわく、景時自身も八葉である というのだ。

初めは驚きこそすれ、血を分けた妹である朔は先だって黒龍の神子に選ばれていたし、なんだか龍 神が作用するあらゆることに免疫が出来ている感がなきにしもあらずといったところか。

朔と望美が仲良くしている姿を見るのはいい。年相応の笑顔をようやっと浮かべるようになったの だ。妹は、若い芽がえぐられて癒されることも癒すことも出来ないような傷を負ってしまったのだ から。時折、ふと雲にかげるような表情が見える機会はぐっと減ったし、消えてしまいそうな悲壮 感も和らいだ。


「うーん・・・・・・」


一つ伸びをして書き上げたばかりの文を改めて見直す。この間、星の一族の居所を教えてくれた同 輩に当てた礼状だ。国を二分する長い戦いが終わりの気配を見せない今、うかつに馴れ合うことは 危険以外の何物でもないが、友人はあくまで梶原ではなく景時個人に向けて情報をくれた。

そこに感謝するところは大きい。

改めて判ったことは、譲の祖母が星の姫であるという可能性が高いこと、そしてその姫は現在この 世にいない――忽然ときえてしまったそうなのだ――ということ。

決して現状に正の方向に働く事実ではないが、この世界に来て右往左往している望美と譲のいい気 晴らしになっただろう。何しろ、現在の京は平家の放った怨霊が昼間といわず夜間といわず跋扈し ているのである。


「洗濯したいなぁ・・・・・・」


犬も歩けば棒にあたる勢いで怨霊とかち合ってしまうのである。望美は出会うたびに一つ一つ封印 していったがとても手に負える数ではない。休みつつ確実につぶしていくしかないのだ。だから、 呑気に鼻歌交じりで洗濯してる場合ではない。ないのだが。


「洗濯、ちょっとならいいかな?」


出来ない。

うっかり庭で上機嫌に洗濯物を干しているところを望美に見つかってしまって以来、彼はやってい なかった。ちゃんと口止めをしておいたが――源氏の軍奉行がいそいそと洗濯に精を出していた、 なんてことが広まったらたまったもんじゃない――望美は約束を守ってくれている。


――お日様の匂いがしますものね


口止めしたとき、望美はにこやかに笑ってそう言った。汚れが落ちきった洗濯物に囲まれて青い空 を見あげる。何でもないその一瞬が好きなのだ。景時が言うと、望美もうなずいてくれた。そのと きの、なんとも言えない暖かな瞳の色が忘れられない。


――今度、お洗濯手伝わせてくださいね


なんだかんだ言っても十七歳。自分よりも十も下だというのに、心臓が大きく跳ねた瞬間でもあっ た。


「よし、やっちゃえ!」


やらねばならない仕事は目の前に山積しているというのに、景時は膝を一つ打って勢いよく立ち上 がろうとした。が、しかし。彼の仕事の進捗具合を見ている人物と言うのはちゃあんといるのだ。 そう、その人物は呆れた調子で兄に向かってあけすけに言ってしまう。


「何を、ですの?兄上?」
「さ、朔・・・・・・」
「まさか、やりかけのことを全部放って洗濯したいなどとは仰いませんわよね?」


笑顔だ。朔はあくまで笑顔だ。だが、その笑顔が怖い。


「い、いやいや〜まさか!まさかだよ、朔。仕事やっちゃえって言ったんだ」
「そう?ならばよいのだけれど」


何の用事でここに来たのかと聞けば、出来のいい妹はさすがである。いい具合にすりあがった墨と 、息抜き用のお茶、それから譲が作ったのだというお菓子を持ってきてくれた。感謝しつつ丁寧に それらを受け取って、景時は再び机に向かった。


――これじゃあ、今日の洗濯はできそうもないな・・・・・・


外は快晴、頭が痛くなるような青空が広がっていて、流れる薫風はからりと乾いている。きっと、 こんな日にたくさん洗濯したら気持ちが良いだろう。そして、景時の予感は運悪く的中してしまう のだ。

昼下がりに再び現れた朔が、何も知らずに持ってきた文によって。





「――哉道(なりみち)殿が?」


梶原の屋敷で景時は幾分か素っ頓狂な声を出した。相手にしていた朔はええと困ったように頷く。 今までひっきりなしに動かしていた手を止め、丁寧に筆を置いた。彼の僅かな動作に、気に入りの 香である紅梅が香り、その季節はとっくに過ぎてしまったというのに、この部屋には春の名残があ る。


「たった今、使いの者が来ましたの。それで、この文を」
「ありがと。・・・・・・そうか、哉道殿が」
「ええ、私では詳しいことはわかりませんから、とにかく兄上に報告を、と思って」


朔が文を差し出した小さな動作で、耳の下にあしらえた馬酔木の花が揺れた。楚々とした顔立ちの 彼女は困りましたわねと溜息を一つ。景時も困ったねと相槌を打ちながらもしっかりと頭を回して いるようだ。不意に思いついたように、彼はぱっと顔を上げた。


「あ、朔、申し訳ないけど、六条堀川の方に使いを出してもらっていいかな?九郎を呼んで欲しい んだ」


景時の、当主らしからぬ下手に出た申し出に、朔は一つ返事で頷き部屋を出て行った。

朔が消えて行った景色は目も眩むほどの緑陰である。名のある庭師が整えた南庭は緑の勢いがよく 、皐月の群青によく映えた。花の色はその中で、ぽつりぽつりと色水をたらしたように浮かび上が り、風が吹いて葉が揺れれば、そのたびに緑のなかに紛れてしまう。

季節は確実に、暑気をはらみつつあった。

この文が意味するところ、これから何をもたらすのかは全く分からないがとにかく、事態はややこ しい方向に流れていきそうな気配を示していた。先日の、成隆・夏澄姫を中心とする事件が片付い たばかりである。戦のきな臭さが日を追うごとに濃厚になる今、本音としては厄介ごとは出来るだ け抱え込みたくない。

が、そうも言っていられないのが現実である。

九郎を呼べば自動的に弁慶もくっついてくるだろう。ここに到着するまでしばし時間が掛かるかも しれない。ならば、今のうちに出来るだけ仕事を片付けてしまおうと――景時は、再び筆を手に取 った。
















というわけで久しぶりに探偵やります
梶原兄弟はいいですなーうん、ほんといい。
いろいろ時間軸間違ってますが、どうぞスルーしてください(土下座