伏籠 7




望美はやや不機嫌な顔で馬に揺られていた。背後には弁慶。頭の上には皐月晴れのすっこ抜けた空が広がっている。 半ば強制的に着せられた単が馬の足並みと一緒に揺れ、手綱を握る弁慶の顔は心なしか緩んでいる。


――わけわかんない・・・・・・


望美が朝ごはんを食べ終わると、息つく間もなくヒノエにまくし立てられ、それを聞いていた朔はここぞとばかりに彼女を飾り立てた。もちろん、ヒノエの本当の目的を知らないまま、 である。さらに、その望美の姿を見た譲と白龍があらん限りの褒め言葉を言うので脱ぐわけにもいかなくなった。 そうこうしているうちになぜか六条堀川から弁慶が迎えに来て――現在に至る。


――聞いても、何にも教えてくれないし


望美がいくら言葉を重ねても、一人につきその倍以上の言葉で返ってきた。反論すれば絡めとられ、ごまかされ、何もかもがうやむやにされる。それをこの八葉の中でもっとも口の立つ二人からされるのだから、 たまったもんではない。ついに閉口して馬上にいるしかなかった。


――動きにくいし


日ごろ快活な望美にとっては、単は幾分か不満だ。

けれど、それなりの家に行くので弁慶とヒノエにとってはいつもの陣羽織は少々いただけなかった。それに、普段着飾らない彼女の、珍しい姿を見られて――ヒノエは自分の馬に乗せられないのが唯一の不満だが――一 石二鳥というもの。顔を緩めるなというほうがどだい無理な話である。


「ふふっ」

「な、なんですか、弁慶さん」

「君に無理をさせて悪かったですね。でも、僕は嬉しいですよ」

「どうしてですか」

「単、よく似合っています。桜のような君を独り占めできて役得というものです」

「・・・・・・弁慶さんて、ヒノエくんとよく似ています」

「僕が、ヒノエにですか?ヒノエが、僕にですか?」

「教えません」


馬上でそんな会話をしているうち、目的地に到着した。馬から下りるとき、さすがに弁慶の手を借りたが、その際、軽く抱きしめられたというのは気のせいにしておこう。


「姫君、くっされ法師になんかされなかったかい?」


女と機微には聡いヒノエらしい言葉である。望美の顔が少し赤らんだのは陽気と着慣れない単のせいにして、恭しく手を取ると、弁慶に続いて義路の屋敷に入っていった。

空は、何が起ころうともただ広がり、雲がゆるりと流れるのを受け止めているだけだった。




初めて会う夏澄姫の落胆、いや絶望のほどは見ているこちらの胸をえぐるほどのものだった。大体、礼式を煩いくらいに重んじる貴族の屋敷に、しかも服喪中に訪れるなど問題外の話だ。 それでも三人が何の咎もなくこうして対面できているのは、半分は成隆のせいであったし、もう半分は望美の名声がなした業だ。

義路との挨拶もそこそこに、三人は案内を務めた三重の導きで彼女に会っていた。ここにきて初めてこの屋敷であったことを望美は知り、二人を一気に問い詰めたい気持ちに駆られた。 しかし、牽制するかのように「すまないね、姫君?」とヒノエから、「君がいてくれるだけで僕は安心するんです」と弁慶から言われてしまってはどうにもならない。


――穢れを祓うっていわれてもなぁ・・・・・・


望美が知っている唯一の祓う方法は、剣を持ち、いつもの言葉を悲しみとも嘆きとも、そして祈りともつかない気持ちで唱える、あの方法しか知らない。 今までこんな風にある意味神官のような真似はしたことがない。それに、適役が一人、ここにいるではないか。


――ヒノエくんがすればいいと思うけどなぁ・・・・・・


何せ熊野三山をすべる男である。どんな瘴気も穢れも祓ってしまうというものだろう。詳しくは知らないが、熊野は位の高い神々を何体も祭っているはずなのだ。しかし、 本人はそ知らぬ顔で御簾の向こうにいる姫を見ている。横目で小さく睨んでも、逆にウィンクされ返された。


「・・・・・・そちらが、神子様でいらっしゃる、と?」

「はい、夏澄殿。屋敷に図らずも満ちてしまった穢れは彼女が祓ってくれるということです」

「べ・・・・・・!」

「そうです、夏澄姫。こちらはどんな穢れも触れればたちどころに祓ってしまう、高貴な神子でございますから――ご安心を」

「ヒ・・・・・・!」


望美にとってはご安心もなにもあったものではない。

だいたい、ここにいて何をすればいいのかもわからないのである。しかし、そうですかと掠れた声で視線を向けられれば不安な顔など出来るわけもない。 望美は元来の勝気とお節介も手伝ってはいとしっかり返事をしてしまうのだった。


「夏澄殿、一つお聞きしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか」

「何でございましょう・・・・・・武蔵坊様」


夏澄の声は相変わらず掠れていた。聞けば、あれから昼夜を問わず泣いているのだという。通常ならば凛とした冷たさをたたえながらも柔らか味のある声音なのだろうが、 今は、夏の夕暮れに風が木々を騒がせるような、一種不穏を含んだ声だった。

藤衣の裾が揺れた。

夏澄は口元に扇を運んだらしい。


「あの日、吉野殿を最後に見かけたのは一体、いつのことでしょう?」

「・・・・・・吉野の、最後の姿でございますか・・・・・・」

「夏澄姫、悲しみが深まるような質問を投げて申し訳ありません・・・・・・ですが、これもひとえに姫君を悲しみから少しでも救いたいという一心から。どうか、お答えくださいませ」


ヒノエはやはりヒノエである。普段の軽々しさが抑えられても、どこか口説きめいたセリフを忘れない。

夏澄は少し逡巡したあと、傍らに控えた三重に視線を流した。それを受け、彼女が小さく頷く。


「わたくしが吉野を最後に見たのは、一昨日の夕刻でした。父上がお帰りになるというので、お出迎えに向かっていたところ、ひどく気分が悪いようでしたので」

「気分が?」

「えぇ、そのふらふらしていたというか・・・・・・ね、三重?」

「そうですね。顔色が悪かったというよりも・・・・・・その」


三重は夏澄の言葉を引き受けて発言するも、なぜか夏澄の顔色を窺った。


「三重、過剰に気を遣いすぎよ。わたくしは気にしていないと申したでしょう。そんな風にされるほうがよほどつらいわ」

「申し訳ありません、姫様」


かしこまって三重が腰を折る。夏澄同様、彼女も藤衣を着ていた。藤の繊維を用いて編まれたそれはひどくみすぼらしく、死者を弔うためにのみ着用される。 出来ればこれを着る回数は少ないほうがいい――ぼんやり、望美は思った。


「その、寝不足のような」

「寝不足・・・・・・ですか」

「はい」

「成隆殿は頻繁にこちらに見えていたのですか?」

「はい」

「そうですか」


短く言葉を切り上げ、弁慶はこれ以上言及することはなかった。事情を知っている彼が、夏澄に見せた気遣いであり、それが伝わったのか夏澄もようやくゆるりと笑った。 口元だけで、であるが。六条からきた情報によると、成隆は三日と開けずに吉野の元に来ていたという。 彼についても幾許かのことを知ったが、浮名を流した人物とは同じと思えないほどの変わりようである。


「それから、見ていないと?」

「えぇ、気分が悪そうだったもので、わたくしが部屋まで送りました。三重がその場にいましたわ」


ちらとヒノエが眼を向けると、三重は強く頷いた。


「成隆殿のご来訪には気付きませんでしたか?」

「はい。一昨日は疲れておりましたので。三重が灯明の油を足しにきたのもわからないくらいでしたわ」

「そうですか・・・・・・不躾な問いかけ、大変失礼いたしました」


質問の終わりかけ、弁慶が眼を伏せる。じっと何かを考え込む顔である。望美の右隣にいる弁慶が黙ってしまったので場に沈黙が流れた。背中のほうで、 見事な庭の木々が薫風に流されてささやかな音を立てる。合間に鳥の声が響き、うららかで長閑以外の何物でもない日だったが、望美にはなぜか重たく感じる。

まるで、夏の日差しが強すぎて喉を塞がれているような。


「こちらからも、一つよろしいでしょうか」

「は・・・・・・はい、ひのえ、殿」

「あぁヒノエで結構です。そんなにかしこまっていただかなくとも」


それで、とヒノエが不遜な光を秘めて夏澄を見つめる。


「それ以来、吉野殿は姿を見せなかったのですか?夕餉にも?」

「え、えぇ・・・・・・そういえば、そうだわね、三重?」

「そうでございますねぇ・・・・・・きっと寝ているだろうと皆で思ったものですから。姫様も、そうおっしゃいましたし」


三重の口調は存外辛口だった。長年使えていた姫の恋人を寝取った――実際にどちらから誘ったかは別として――女房に対して誰よりも憤慨しているのかもしれない。


「もう一つ。一昨日、吉野殿はこちらのお部屋に参りましたか?」


いいえと夏澄は答え、それきりヒノエも黙ってしまった。













というわけで直接対決開始
しっかしどっちがおいしいとこもっていくのか。
知らん。じゃんは知らないです。あはーん。