伏籠 6




六条近くにある、牢獄。

牢獄といっても戦でつかまった捕虜が入るそれとはかなり異なる。九郎はいたく驚いていたが、意外にも高貴な身分の犯罪というものは多い。 かといってはいさようならとすぐに放免できるわけもなく、苦肉の策として作られたのだった。つまり、手の行き届いた牢だと思えばいい。

ただし、かなりの制限はあるのだが。


「これは弁慶様・・・・・・」

「こんにちわ。ちょっと、中に用があるので通していただいてもいいですか?」

「え、ええ、まぁ」

「大丈夫。九郎からの許可はもらっていますよ。あぁ、後ろの男は僕の見習いですので、気にしないように」


補佐からいきなり見習いに格下げされたヒノエはあとで覚えてろと心の中だけで呟くに留め、門番に愛想笑いを浮かべて通り抜けた。

ここは京にはまだ少ない武家屋敷の様式を取り入れている。

大人が真っ直ぐに立っても頭がまだ隠れるほどの高い塀がぐるりと囲み、門は二人がくぐったところのみ。ただし鎌倉によく見られるように堀はない。 入ってすぐに大きな母屋が見え、内部は細かく仕切られている。ここに逗留する人間の身分が身分なのでさして乱雑な印象は受けないが、 代わりに華美というわけでもなかった。

その、少し日差しの悪い一室で、二人は問題の人物、成隆と向かい合っていた。

彼我の差は一間ほど。位としてどちらが高いと考えるのは無意味であり、ただ面倒なのでヒノエは入り口に腰を下ろし、弁慶もそれに倣っただけだ。


「お初お眼にかかります、僕は武蔵坊弁慶・・・・・・こちらは」

「軍師殿の補佐をしております、ヒノエとお呼びください」


もうこれ以上の格下げを自ら食い止めたヒノエは早口でそう言い切ってしまうと、限りなく簡素な仕草で頭を下げた。突然の訪問者に驚いた成隆は未だ呑まれたまま、 亡羊とした表情で首を前に突き出し、これを礼として二人は受け止める。

成隆は思いのほか整った顔立ちである。九郎や景時のように武士然とした精悍さはかけるものの、貴族の男が持ち得る雅さを目じりのあたりにたたえ、白い面は戦のきな臭さを感じない。 よれた直衣をよほど嫌っているのはさすがやんごとない血を引く男のこだわりである。


「あの」

「あぁ、余計なことは省きましょう。僕たちもあまり長居できない立場なので」


せっかく口を開いた成隆にはまったく興味を示さず、弁慶は名前と昨夜どうやって義路の家まで行ったのかだけを聞いた。成隆は消え入りそうなくらいに小さな声で答える。ヒノエはじっと、その様を見ているだけだ。

聞けば彼は次男坊だという。家を継ぐという責務もなく、戦に出征する立場からはやや遠い。戦火を離れた貴族というものは得てして現状の深刻さを知らない。のほほんとした彼とは絶対にそりが合わない、と眉をしかめてしまいたくなる。


「吉野様のことについて、ですが」


弁慶は何の前置きもなしに切り出した。

唐突さを狙い、相手の虚を突く彼のいつもの戦法が始まった。それに見事はまり、吉野という名前に過敏なくらい反応したのはやはり聡明さにかけている。


「・・・・・・私は、彼女を殺してはいません」

「お待ちください、成隆殿。僕たちはそのことについて聞きに来たわけではありません」

「・・・・・・何を、お知りになりたいと」


ぼそぼそと口の中で声を殺してしまうので聞き取りづらいことこの上ない。乱れた髪を細長い手で撫でつけ、くぼんだ眼の隈はどう見ても恋人を失った男にしか見えない。 ちらと弁慶が斜め後ろのヒノエを見た。視線を受け、それとはわからないくらいに首を振る。 生まれ育った環境が、ヒノエに人の機微を読み取る力を育てた。


「吉野様は、何か違ったところはなかったですか」

「と申されましても・・・・・・」

「昨夜、貴方は吉野様の局に行かれましたね?三重という女房殿が貴方のお姿をみていらっしゃいますし・・・・・・お帰りは、朝でしたか?」


不躾な質問で申し訳ありません、と弁慶は頭を下げた。それに、やはり鶏がぴょこっと首を突き出すようにして成隆は礼をする。どうやら質問に不快さを感じたわけではないらしい。 ということは、今の仕草は肯定の印だったようである。


「変わったことといえば・・・・・・」

「何か思い当たる節が?」

「えぇ。閨の話になりますが、構いませんか?」

「・・・・・・」


どうも、この男はどこかずれている。常人ならば恥らってしかるべきところがずいぶんとあけっぴろげである。ヒノエも弁慶も、この一言には面食らった。


「どうぞ?」

「はぁ・・・・・・じゃあ、話しますね。吉野様とはもう一年の付き合いになります。なりまして、昨夜、本当は祝言の日取りを話すつもりでいました」

「つもりだった、ということは・・・・・・」

「話せなかったのです。話す暇がなかったと言いますか、その」

「あぁ、結構です」


誰だって他人の情事を詳細に聞きたいものではない。これが仲間内の、酒の席ならばひやかすなり何なりして肴にでもなるのだろうが、初対面の、 しかも殺人の嫌疑がかかっている男から聞いて愉快になるほど二人の趣味は悪くない。笑顔で遮った弁慶は、再び話を促した。


「成隆殿、僕たちはさる事情がありまして、今回の件について調べています。貴方の話次第では重要なことがわかるかもしれません。どうか、 いつもと違った点だけをお話してください」

「はぁ・・・・・・あのですね、その、首を絞めて欲しいといわれました」

「・・・・・・は」


何を言い出すかと思えばと二人は一瞬固まったが、ヒノエの目には成隆が嘘をついているようには見えなかった。咳払いをして、動揺を抑えた弁慶は先を続けるように努めて冷静に言った。


「最中、腰紐を吉野様自ら首に巻きつけて・・・・・・絞めて欲しいと。欲しいと言われまして」

「締めたのですか?」

「初めは・・・・・・初めは、何を言うかと思いまして。お二人もそうお思いになりましたでしょう?」


思った。


「こちらもそう思ったのですが、吉野様は自分で絞めたようで」

「見えなかったのですか?」

「え、ええ。昨夜は朔の日でしたでしょう。灯明が点いていないと真っ暗闇でしたので」

「それで、貴方は結局首を絞めたのですよね?」

「はぁ、その、首を絞めたところ、具合がよくなりましたので。つい・・・・・・」


うんざりした顔をここで見せるわけにもいかず、ヒノエは自然な風を装って外に視線を逃がした。

馬鹿馬鹿しい。

なんでこんなに麗らかな午後、食えない叔父と二人でしかも野郎の褥話を聞かなくてはならないのかと恨みたくなる。そもそも、 今朝の使いに好奇心で同行したのが始まりだったのだ。こんな事件に煩わされていなければ今頃、望美にこの時空の書物を手取り足取り教えていただろうに。


「それで、どうされました?」

「疲れ果てて眠りましたが・・・・・・こちらが先に起きてしまって。吉野様はまだ寝ていらしたので。寝ていらした吉野様を起こすのも忍びないですし、 声をかけずに屋敷を後にしました」


一言前の言葉を繰り返すクセがあるようだ。話の最中、昨日のことを思い出しているのか、顔が緩まってきた。本当に、自分の立場を知っているのかどうか疑わしいところだと弁慶は溜息をつく。 もちろん、こんなことがなければ成隆との付き合いは最小限にしておきたい。

弁慶は聡明な人間が好きなのである。

総てを語らずとも察して行動を起こすような、時期を見極めて道を外さない、そういう人間とは付き合いやすい。だから、飲み込みのいい望美や機微を察する譲なんかは大歓迎だ。


――君は気付いてないみたいですけど、ね・・・・・・


「それは、いつごろですか?」

「日が明けてはおりませんでした」

「失礼は承知でお聞きしますが、吉野様は生きていらした?」

「はい。もぞもぞと動いておりましたから。あたりは薄暗かったですが、肩が動くさまくらいはわかりました・・・・・・こう、向こうを向いてすやすやと」

「そうですか・・・・・・最後に一つだけ、いいですか?」

「何でしょう?」

「昨夜、お酒をお召しになりましたか?」

「・・・・・・はい」


なんとも言えない顔で頷いたのをしおに、二人はその場を辞した。礼を失しない程度に、だけど迅速に、である。これ以上、ここにいるのはごめんこうむりたかったのである。

反発してばかりの二人が、珍しく意見が一致した瞬間だった。




「はァん・・・・・・なるほどねェ。そりゃ大変だ」


ヒノエの目の前にいる女――女と思しき人物は煙管から唇を離し、ぷかりと煙を吐いた。わっかを描いていたそれはゆらゆらと上っていき、そして崩れて消えた。 雑多な人ごみからは歓声とも悲嘆とも知れない声が絶え間なく聞こえてくる。そちらのほうにちらと視線を送り、酒を所望したのと同時にヒノエが言った。


「なぁ、最中に首絞めるってありえるのか?」

「さぁてネ。なんなら試してみるかい?」


女は高くつくけど、といい、眼だけで笑って見せた。
 

「いや、いい。ケツの毛まで抜かれて鼻血も出ないね」

「なんだ、つまんない。で、アンタどうするつもりなンだい」


女はまた煙管を咥えた。赤い唇は紅を刷いていないのだそうで、白い面によく映える。黒い髪を頭の高いところで結い、結び目には簪を挿し、着物――直衣は右肩を脱いで着崩した形の彼女は 、ヒノエの杯に酒を注ぎながら聞いた。男装していても女性の色香、それも誘うような濃密のものを隠し切れない女だ。勝気な双眸がひどく印象に残る女であった。


「どうもこうもねぇよ。女は首絞めて殺されてんだろ。男は首絞めてる。でも殺してないとさ」

「シケた面さらしてここに来ないで欲しいネ。辛気くさくなっていけない。・・・・・・アンタ、まだわかンないの?」

「は?」

「話聞いただけで判るッてのにサ」

「はぁ?」


ついと顔を寄せた女に釣られて、ヒノエも杯から口を離し、額を寄せた。互いの距離はこぶし一つ分ほど。これだけ人がいても二人の会話に誰も関心を示さないのは、ここが賭博場兼酒場であるからだ。女はここの関係者。 近くで、大山を当てた歓声が上がる。


「この世には認識してない事実は存在してないし、アンタが知ってるのはほんの一部なのさ、坊や?」

「意味わかんねェこと言うんじゃねえよ」

「わかんないのはアンタのおつむが足ンないからでしょうが」

「・・・・・・俺に向かってんなこと言うのは親父と生臭坊主ぐらいだと思ったぜ」

「あァら、残念。ねじくれた事実しか見えてないンだから仕方ないネェ」


そう言うと、さっさと酌を持ってその場を離れた。歓声がまだ覚めやらない人だかりに割って入り、賭けの親になる。ヒノエは、先ほど勝った男がまた負けていく様を無感動に見ていた。

ねじくれた事実の意味を考えながら。












3の朱雀は明らかにやろーに興味がない
成隆があほにみえるのは気のせいではありません
自分の趣味全開な女オリキャラ出してすいませ……!