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伏籠 2



夏澄は悲嘆にくれた眼を南庭の大きな池に向けながら、つうと頬を流れる涙を感じた。

昨夜、乳母姉である吉野が死んだ――いや、殺されたのである。

吉野と己は、同じ乳を分け合い、同じ女性に育てられたとあってひどく似通っていた。けれども、和歌は夏澄のほうが上手であったし、 琵琶の飲み込みも早かった。が、豊かな黒髪は吉野のほうが美しかった。

吉野、という名の由来とおり、春咲き誇る桜のような、やんわりとした雰囲気は一緒にいて和むものであった。けして華美ではないが、 そばに居て無数の花がひらくような心持にさせてくれる彼女はもういない。

綺麗な唇の形、柔和な目元、うらやむ黒髪。もう二度とこの世に存在しない。

流れる涙は幾筋も白い頬に跡を作り、喪に服する藤衣の袖に大きな染みを作っては消えていった。すすり泣く様はまるで、夏の夕立のように 天真爛漫な彼女に大きな影を落としていた。




明け方にかけて慌しい邸内の空気は古参の女房――三重の神経を逆撫でしてならなった。死んだ吉野に対しては「これが報いだ」という、なんとも無味乾燥な情しか沸いてこなかったが、 うち泣く夏澄の姿を見るたび、どうしてやることも出来ない己に腹が立った。

――夏澄様・・・・・・

夏の日差しのように明るく、誰に対してもからりとした笑顔は見る影もない。盛夏の折に生まれた彼女は季節から一文字とって名付けられた。 2ヶ月ほど早く生まれた吉野の母が乳を与えることとなり、共に育って十八年。夏澄も吉野も、申し分ない女性に育ったと思う。

それを手折ったのは、成隆。

彼は両方の花を手にし、一方から命を、もう一方から笑顔を奪った。

良家の次男坊である彼が、吉野を殺したのだった。腰紐で吉野の細い首を絞め、あろうことかそのまま屋敷を後にした。 死体を発見した別の女房は臥せってしまったのだ。

部屋に立ち込めた沈香の香りは、彼の衣に染み付き、さらに吉野を訪れる姿をこの三重が見ている。言い逃れの余地はないのに――成隆はこの期に及んで おかしなことを言っているという。

いわく、「己はやっていない」と。

逆に良かったのかも知れない。

三重の脳裏にひらめく。そうだ、姫様はあんな男と結婚しなくて良かったのかもしれない。吉野を殺したのにいまだその罪を認めようとしない、 往生際の悪い男なんて我が主にも、この家にも叶わない。

暗雲から差し込む、乾麺のような光が、三重にとっての唯一の救いだった。




夏澄は義路の二番目の娘である。母は側室であるが、父は正妻よりも愛を授け、こうして同じ邸宅で起居することが何よりもそれを示している。なお、上の姉はとうに嫁ぎ、 すでに子を二人なしたと便りで知った。側室の子ではないが、彼女との関係は良好である。が、その生母である北の方とは折り合いが悪かった。

「おお嫌だ。だからお前なぞこの屋敷に入れたくはなかったのです」

「かあさま」

西の対の南廂でぼんやり過ごしていると、北の方はしかめっ面を隠そうともせず、言葉に容赦のないとげを含ませて夏澄に言い放った。

「あぁ、お前に母と呼ばれたくなどありません。生んだ覚えもない子に母と呼ばれる筋合いもないですからねぇ」

「・・・・・・でも」

幼少のころから、この女を母と呼べと育てられた己はどうしたらいいのだろう。

悲しみにくれる彼女の脳裏にちらりとよぎる考えだが、それを口に出せば言葉の十倍で返される。身にしみて判っている夏澄には、 黙ることだけが残された手段だった。

「お前の女房が死んだそうじゃないか。しかも殺したのはかつての許婚だって?」

「・・・・・・」

「お前も見る眼がないというか・・・・・・生まれが出たというか」

「・・・・・・」

「義路様のお顔に泥を塗るのは、楽しいか?育ててやった恩を仇で返すなんて、この世も末だねぇ」

もちろん、夏澄はこの女の乳を一滴たりとて飲んだことはないし、その両の腕に抱かれたこともない。覚えているのは、 数々の嫌がらせ――義路には絶対にばれないような――ばかりだ。

伏せた夏澄は、御簾越しに見えた彼女のきらびやかな衣の裾が眼に入った。いつもと変わらない格好をしている北の方は、 喪に服する気がさらさらないらしく、見事な緋袴を引きずって言い去る。

「あぁ、死んだ吉野とやらの葬儀はいたしませんから」

「えっ!でもそれでは吉野は・・・・・・!」

「なぜあのようなものの葬儀をなさねばならないのです?我が一族の汚点ともなるような死に方をした小娘なぞ、里に送り返すので十分です」

「かあさま!」

「母と呼ぶなと何度言ったらわかるのです!あぁ、でも成隆殿を引き止めるくらいの役には立ちましたから――せめて、棺桶くらいは用意してやりましょうな」

あでやかな微笑みは、地獄の閻魔もかなわぬと思わせる。

夏澄は、何も出来ない自分をひたすら呪い、ただ泣く。

両の手で覆ったが涙は指の間から零れ落ち、堰を切ったように止まることがない。なのに、その口元が不敵に笑っていた。




一方、知らせを受けた九郎は突然の出来事に泡食ってしまった。弁慶を急遽呼び寄せたはいいが、彼にくっついてヒノエまで来たのは嬉しくない誤算だった。

「・・・・・・なぜお前がいる」

「暇だったから」

苦い九郎の言葉も、ヒノエにかかっては形無しである。今にも口笛を吹きそうな彼を嗜めるのは弁慶。

「ヒノエ、そんなふうに言うもんじゃありません。大体、これから忙しくなるだけなんですよ」

「あんたねぇ、言ってることと顔が全然かみ合ってないんだけど?」

至って他人事、といった風なヒノエに対し、弁慶の腹のうちはいまいち読みきれない。

これから後白河と義路からの使者が来ることになっていた。後白河からはおそらく、「紹介した矢先にこのようなことになって申し訳ない」という旨の言葉を頂き、 義路からはただひたすらに謝罪――彼に責任があるわけでもあるまいに――の言葉だろう。

後者については特に気を遣う必要がないが、問題は後白河のほうだった。格としては相手のほうが遥かに上である。単に「あぁそうですか」ということも出来ないし、 逆にああだこうだと言い募るのもいけない。あくまで形式上のやり取りだとは心得ているが、いかんせん世の最高権力者というのは厄介だ。

「こちらも突然のことで驚いていますよ」ということを示しつつ、「院のありがたいご紹介をこのような形で失って遺憾です」という態度も同時に滲ませなければならない。 前者を匂わせすぎればただの馬鹿であるし、後者が強ければおべっかになってしまう。非常に微妙で、繊細なところだ。

「とりあえず、犯人は挙がっているのでしょう?」

「あぁ。殺された女房の、許婚だと聞いたが」

「へぇ。自分の女を殺すなんて気が知れないねぇ。花を手折る愚かな男のご尊顔を一度拝見したいもんだよ」

「ヒノエ、不謹慎ですよ」

弁慶の窘めを、片眉をひょいと上げただけで流してしまう。燃えるような緋色の瞳、透き通る白い肌。熊野の荒くれを一纏めにしてしまうとは信じがたい容貌彼は、この浮つきさが玉に傷といえた。 黙っていれば、静謐さも感じさせる美しさを持っているというのに。

一筋縄ではいかない甥っ子を横目で見て、弁慶は知れずと溜息をついた。

「そういうアンタだって、これからのことしか考えてないだろう?」

「君じゃないし、そんなことはありませんよ」

「ふうん、見たことも無い女に慈悲をかけるお心があったとは恐れ入ったよ」

「これでも仏に仕える身ですから」

しゃあしゃあと応える弁慶の顔は笑っている。琥珀の瞳は誰にも心のうちを読ませない輝きがあり、女性的な顔立ちなのに男性特有の色気を醸し出している。 普段は黒の外套で全身を覆っているが、其の内はひどく混沌として、誰もをひきつける魅力があった。

「お前らな・・・・・・」

「ふふ、すみません。相手が院なので、心構えが必要なんですよ」

院と、院に近しいものを一挙に相手にするは、この弁慶が最適。

そうして、やっと弁慶は事件のあらましを聞いた。








ビバ!女のあらそい☆
でもまだ探偵決まってない・・・・・・orz