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熱病 8





『安い・早い・上手い』の三拍子をキャッチフレーズにしている電器業者は、約束の十分前に来た 。望美はとうに準備していたのでさして焦りもしなかったが、若い業者の向けるその笑顔に幾許か の押し付けがましさを感じ取ってしまった。


「それで、どういった風ですか?」


玄関から二階に上がるまでの短い道のりで望美は弁慶から伝え聞いたことをそのまま言う。


「電源が入るには入るんですけど、一度消してしまうともう点かないらしいですよ」


工具を持った業者が先にたち、数段の間をおいて望美は二階へとたどり着く。なんだか、落ち着か ない。半年近くも一緒に暮らしていて、彼の部屋に入るのは初めてだった。入ろうとも入りたいと も思わなかったその空間に、こうして足を踏み入れる日が来ようとは、いったい誰が想像できたろ う。

「こちらの部屋ですか?」


しかし青いつなぎを着た彼は、あっけなく確認をとり、うなずく前にその扉を開いてしまった。一 瞬、弁慶の香りが鼻腔をつく。そしてなんらおかしいところがない空間が長方形の先に広がってい るのだ。

本当に、ありふれた部屋だった。

望美の部屋が南側にあるのに対し、彼の部屋は東のほうにある。入ってすぐに目につくのはL字型 の机の上にあるパソコンだった――それも、一目見て既製品でないとわかるくらいカスタマイズさ れたもの。隅のほうに形だけ整えたベッドがあり、部屋の中央にはテレビがでんと、まんま床に直 置きしてある。壁際にステレオとCDラックがあって、あとは全部本棚だった。


「ちょっと電源入れてみますね・・・・・・」
「あ、はい」


テレビの上においてあったリモコンを操作して業者が様子を見た。

背表紙を読み取っていた望美は気の抜けた返事をする。ミステリから最近流行の小説、そして漢字 だけで題名が構成されている、難しそうな法律の本。雑然と積み上げられた雑誌はファッションや 車のそれではなく、どうやら最近の判例をまとめた月刊誌であるようだった。この家に戻ってきて かなりの時間が経っているというのに、まだ整理されていないダンボールが一つだけある。

彼は、間違いなくこの本だらけの部屋で生活していたのだ。

いつもより強く感じる彼の香りがそれを裏付けている。すえたような、香ばしいような煙草のにお いにはメンソールが混じっていて、軽くつけている香水の透き通った香りもする。一呼吸ごとにそ れらが自分の体の中に入り込んでくる。そして内臓に染み付く。

うーんと青いつなぎの男がうなりを上げ、リモコンを分かりやすいように机の上において、窓に寄 った。

「ちょっと外のやつを見てきますよ。たぶん、そっちの異常でしょうね」
「気をつけてくださいね」


東側にある出窓から、業者は身を外に出しながら言う。エアコンの電源を入れてもらえますかとい われ、机の上にあるリモコンを手にしようとして――一瞬、固まった。


「あの、すいません?」
「あっ・・・・・・で、電源ですね、はい、これでどうですかっ」


窓からこちらを覗き込んだ業者の声にせかされて、我に返った。見ているこっちがつらくなるよう な体勢をとっている彼をそのままには出来まい。慌てて電源をいれ、やはり動かないエアコンを見 つめた。何か、悪いものから必死に目をそらそうとするように。


「あー、これ、部品が磨耗しちゃってんですね。代わりのものと取り替えれば大丈夫ですよ」


さわやかでも押し付けがましい笑顔を向けて言う業者の言葉は、右から入って左から抜けていった 。望美は、何にうろたえているのかも分からないまま、早くここから出て行きたいとだけ思った。

ミステリや文学ものの小説、流行の娯楽小説、難しい法律の本。積み上げられた雑誌と整理を待っ ているダンボール箱。それから自分で組み立てたと分かるデスクトップ。全部全部、弁慶のものだ 。弁慶のものと分かる其の中で――女物のピアスは本当に異質だった。





あれから数日が過ぎた。直しが入ったエアコンはすこぶる快適なのか、弁慶は前に見たようにリビ ングで仕事をすることもない。しかしそうは言っても季節は流れ、さして活躍の場も無くなってき ているのも事実である。

来週の月曜日から、大学は後期課程を開始するのにやっと気がついた。


「夏休みも終わりかぁ・・・・・・」


ぼんやりとした面持ちで望美は呟いた。ざわざわと落ち着かない雰囲気を醸し出しているのは、フ ァーストフードで思い思いのまましゃべっている周囲の人間が原因だ。ストローから吸い込んだコ ーラの炭酸が舌に痛い。


「メンドくせぇなー学校」
「将臣君だってろくに来てなかったじゃないの」
「出席とるやつはちゃんと出てたぜ」
「あのさぁ、そういう問題じゃないと思うんだけど」


前期試験が終わった日のように、二人は何をするでなくただ顔を合わせて話していた。単に財布が 寒いというだけで、時間をつぶすのに見たい映画はないし、カラオケにいく柄でもない将臣とはよ く、こうしておしゃべりだけで終始してしまう。そしてその将臣は要領のよさを別の方向に発揮し ていた。つまり、単位を落とすぎりぎりを見極めて講義をサボっていたのだ。

時々、その要領のよさと割り切りのよさがうらやましくなる。きっと、彼なら何を見ても平然とし ていてだからなんだという態度をとるのだろう――いや、端から気にしない。

望美の視界の隅の方に、いつもあのピアスがある。白いイミテーションの真珠が房になっているピ アスだ。ポストは綺麗な銀色で、片方だけ、書類が山積している机の上にあった。だが、きちんと 区分けされ、うずもれてしまわないように置かれていることから特別なものだと分かってしまった 。

ピアスをしない望美には、女性がどんなときにピアスを外すのか、正確にはわからない。分からな いが想像に難くない。


「あー、も一回くらいどっか行きたかったなー」
「小笠原行ったくせに」
「一回じゃつまんねぇだろ」
「そういうもん?」
「そう。海外も捨てがたかったけどな」


そういって将臣はフライドポテトを口に放り込む。望美は適当にまたコーラを飲む。

例えば、将臣との関係のように気安い仲だったなら「これなぁに?」とか何とかいってからかいの タネになるだろう。そしてそこから話を聞ける。例えば、弁慶と幼い頃から育っていたなら「誰か 来たの?今度紹介してくれる?」と気軽にいえただろう。

その、どちらでもない場合はどうしたら良いのだろう。


「夏休み、終わっちゃうね」
「だな」


弁慶のあの部屋に誰か来た。ピアスを外した――ピアスを外すようなことをした。

聞きたいのか、聞きたくないのか。あの家に自分と彼以外の第三者がいつ入ってきたというのか。 ああ、でも。しばらくお互いの生活に不干渉だった時期がある。きっと、その時に?いやいや、自 分と彼の生活スタイルは少し違う。そのずれを狙って誰かが来たの?――その「誰か」って、どこ の誰。何してる人なの。

その人と、何したの。

聞きたいなら聞けばいい。聞けばいいのに聞きたくない。自分の兄弟の交際相手を気にするような 年でもないのに、気になる。気になるというより、まとわりついてくる。弁慶だって大人の男だ。 そういう話が無いほうがおかしい。むしろこのほうが正常――では、こんな風に胸が妬ける想いを しているほうが、異常?何に対して胸が妬けているのか分からないのに?


「ま、ノート頼りにしてますよ、望美さん」
「高くつきましてよ、将臣さん」


こふざけた会話はとりとめも無く、望美の脳裏もとりとめがない。

此の間の修理みたいに、こんなことを考える脳みそを取り替えられたらいいのに。





九月の終わり、初めて長袖を着た日だった。大学が始まってしまっていたが、休みに慣れきってい た身体には一コマ九十分の授業はいささかつらい。前期は平気でこなせていたことが、しばらくし ないでいるとこうも大変なのかと皿を水で洗いながら望美は溜息をついた。

二人暮らしの中で、家事は分担して行っている。主に力仕事は弁慶が担っていたし、日々のこまご まとしたものは望美がやっている。ゴミ出しはその朝に時間があるほうがやる。食事の後片付けは 食事を作らなかったほうがやる。そんな不文律がいつの間にか出来上がっていた。

夕食後、後片付けでシンクに手を突っ込んでいるときだった。不意に、弁慶がその華奢な背中に声 をかける。


「望美さん」
「はい、なんでしょう?」


ちょっとびっくりしたけど、振り返った先にいる彼はいつものようににこにこと穏やかな表情を崩 さぬまま、少し首を傾げて言葉を続けた。だから望美も内心の動揺を悟られないようにして聞く。


「突然ですが、再来週の水曜の夜、時間空いていますか?」
「ええと・・・・・・特に予定はないですけど」
「そうですか・・・・・・では、そのまま空けていてもらえますか?」
「いいですけど、何かあるんですか?」


質問に対して質問で答えた望美に、弁慶は軽い笑いを見せる。ふと緩んだ琥珀色の瞳。薄い唇が柔 らかな弧を描いて、上品な顔立ちがさらに綺麗になる。瞳と同じ色の髪がさらりと揺れた。それは こっくりとした色合いの紺色の、薄でのニットに良く映えた。さらりと一枚だけ着こなした姿は、 本当に自分と血が繋がっているのかと思うほど。なんでもない、ただの普段着がとても上質なもの に見える。


「僕の教授が食事をしないかと言っていましてね。君も誘うようにと」
「弁慶さんの、教授?」
「ええ、僕の恩師です。気乗りしないなら断りますが、どうしますか?」
「そんなことないです。あたしが居てもいいなら」
「なら、決まりですね。教授も娘さんを連れてくると言っていますから、あまり緊張しなくて平気 ですよ」


シンクの真上にあつらえた蛍光灯がちらちらと瞬く。窓の外は夜が広がっていて、望美の腕まくり した左の袖がずり落ちる。了承したことで話が終わったと思った彼女は、正面を向いて皿洗いを終 えた。その背中や、髪を纏めてあらわになった項に注がれる視線の深さも知らずに。

弁慶と外に出るなんて初めてのことである。どうしようと思っていても、視界の隅にはピアスがあ る。あれ以来離れてはくれないし、聞くことも出来ず、宙ぶらりんのままだ。出来れば忘れたい。 忘れたいと思っているその時点で忘れられない。どうしようもなかった。


「――これは、僕が仕舞いますよ」


不意の、柔らかな拘束だった。

ゆっくりとした口調の、囁くような声が耳に入ったときにはもう、手遅れだった。

一見細身に見えても、その実はしっかりとした男の身体である。望美の体なんか、いとも簡単に閉 じ込めてしまう。弁慶は知らないうちに背後によって、望美がたった今拭き終えたばかりの大きな 皿をゆっくりと、綺麗な長い指で取り上げる。紺色の腕が皿を持ち上げ、上の棚にしまうまで、望 美は硬直してしまった。

すぐ後ろ、さっきみたいに振り返れば、驚くほど近くにその人がいる。驚くほど近くに、その吐息 を感じる。琥珀色の瞳の中に、自分が映っているのが見えた。彼の香りが鼻腔をくすぐって、そし て離れない――動けない。


――あぁ


ゆっくりと、音も無く弁慶の顔は笑顔に変わってゆく。先ほど見た笑顔となんら変わらないのに、 望美は目を逸らすことが出来なかった。こんなに至近距離で見るのは初めてで、もちろん慣れては 無い。


「これで、大丈夫ですね」


何が大丈夫なものか。

心臓が壊れてもおかしくないほど、身体を叩いているのに。この音が、外に漏れないのが不思議な くらいなのに。

あぁ、やはりこの美しい琥珀は、全てを溶かして見透かして暴いて、閉じ込める魔力がある。











今回のポイント「背後から接近」(なんか違う)
この弁慶はPCオタクらしい。