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もしも、同じ血が流れているとしたのならば
その部分に色がついていればいい
そこだけ入れ替えたら、ほら
お互い他人になれる




熱病




黒と白だけで彩られた家からは、啜り泣きしか聞こえてこない。面識のある人間からない人間まで 次々と弔辞を述べて去ってゆく背中を、もういくつ数えただろうか。遺影の写真は能天気に笑って いて、それがまたなんだか憎らしく思える。相当疲れているのだろうかと、弁慶は自分の肩を叩い て溜息をついた。

一軒家はいつもの静かさをなくし、あるのは満ちる悲しみと漂う線香の匂い。それから人付き合い の煩わしさ。父親の急逝で此処のところ研究室を休んでいるが、読まねばならない論文は溜まる一 方だし、教授のスケジュールも調整しなくてはならない。

そして、妹の存在。


「・・・・・・」


セレモニーホールでの葬儀と火葬場送りが済み、骨だけになった父親と家に戻ってからようやく一 息つくことが出来た。親戚の連中には適当な言い訳を口にして、自分の部屋に下がるなり、弁慶は マルボロのメンソールに火をつけた。

口内から喉の入り口まで一気に薄荷の冷たさともさわやかさとも言えない煙が広がり、ニコチンが 体の隅々まで広がっていくのが分かる。深く吸い込んだ煙を窓の外に向かって一気に吐き出し、ま た口に咥えてネクタイを乱暴に解く。疲れている。疲れるのも道理だ。疲れないわけが無いだろう。

妹は八歳年下だった。早産の上に難産だった母親は彼女を産み落としてから一ヶ月で亡くなった。 出産のもたらす危険性を現代医学はかなり軽減していたが、確率をゼロにしたわけではない。妹は そのまま母方の親戚の家に引き取られた。


「・・・・・・」


会わなかったわけではないけれど、離れて成長していく彼女を、しかも血が半分しかつながってい ない彼女をどうすれば妹だと思えるのか弁慶には分からなかった。彼の父親は弁慶が二歳のときに 離婚し、四歳のときに再婚している。妹は、その再婚相手との子だ。そして父親は、若くして三途 の川を渡った。今頃、亡くした妻と再会でもしているのだろうかと、らしくも無い夢想を馳せてし まった。

久々にあった妹は高校生。きっちりと着込んだ制服と長い藤色の髪が印象的だった。新緑の双眸に 涙を浮かべて、お父さんと小さく呟いたきりそのまま薄い背中を震わせる。育ての親である人は華 奢な肩を抱いて今も下の居間にいるはずだ。

嫌いでも、好きでもない、どうでもいい存在だと弁慶は思う。

今更兄貴面されたって彼女は困るだろうし、大体にして兄貴という顔がわからない。親戚の家では 可愛がられて育ったのが手に取るように分かるし、自分にはもう自分の世界がある。ただ、血がつ ながっているだけ。生物学上の事実――乾いて毒にも薬にもならない事実だが――しかないのだ。 これ以上、何をどうしろと言うのだ。


「弁慶、入るぞ」
「あぁ、九郎。どうかしましたか」


似たり寄ったりなスーツを着た九郎が、涙を流してはれぼったい瞳のまま部屋に来た。彼はこの近 所に住む大学生であり後輩であった。世話になったからと律儀な彼はこの葬式の手伝いをあれこれ としてくれている。


「親戚の・・・・・・誰だったか、ああ、福岡の人が帰ると言っているが、見送らないのか?」
「もうそんな時間ですか。いや、今行きますよ」


弁慶は吸いさしを灰皿に押し付けて、ようやく空から視線を戻した。いついかなるときでも読めな い表情と瞳を持つ男である。整った顔立ちは女性的であるのに、まとう空気は男のもの。琥珀の瞳 と髪の色は母方譲りか。柔らかな声音でさらりと言う言葉はどこまでが真実でどこからが嘘か、そ うそう見抜けない。


「弁慶・・・・・・」
「なんですか、九郎」
「その、あれだな、お前一人になってしまうな。この家」
「そうですねぇ・・・・・・僕もここのところずっと研究室に詰めてますし」


階段をひとつ先行く弁慶の旋毛を見ながら、九郎はたった一言が言えない。

ちゃんと泣いたか、と。

父親との二人暮らしのいきさつは知っている。ある一定の時期からこの家に寄り付かなくなった理 由は分からないが、それでも実の父親、決して短くは無い時間を過ごした人間がもうこの世にいな いのだ。それなのに、弁慶はどこか他人事めいた顔をしさして取り乱しもせずに喪主を務めていた。 だから、余計心配になる。


「九郎、僕は平気ですよ。むしろ君の方が休んでないんじゃないんですか?」


聡い弁慶は九郎の脳裏を読みきって、牽制ともいえる発言で笑った。普段と変わらぬ笑顔だった。





望美は所在なさそうに見慣れない家を見回した。知らない人たち、知らない空間、知らない時間。 遺影に写っている男の人は確かに自分の父親だと知っている。けれども自分の父親だという実感が わいてこないのだ。もう死んでしまったというのに。

交通事故だった。明け方、日課にしていたというジョギングをしに行き、飲酒運転のバイクに跳ね られたのだという。運転手も被害者である父も即死で、怒りをぶつける先が無かった。双方が遺族 となってしまったこの状況はなんだか後味が悪い。そのすわりの悪さがそのまま望美のところに反 響していた。

弁慶に対して、どんな顔をしたらいいのかさっぱり分からないのもあった。小さい頃から何かにつ け会ってはいたけれど、彼が高校に上がったくらいから年に顔を合わせる回数は一回あればいいほ う、というくらいに激減し、ようやっと顔を見たかと思えばこんな場面だ。他人が言うように「ご 愁傷様です」と言えればいいのだが、それもなんだか味気ない。かといって「悲しいね」と家族顔 して言うのもなんだか憚られた。

親戚だという人たちが一人減り、二人減りしてどんどん広くなっていく居間で、望美は自分を育て てくれた人たち――彼女にとっての紛れもない家族――と三人、革張りのソファでぼんやりお茶を 飲んでいる。


「あぁ、お待たせしてすみません・・・・・・今、お茶を入れなおしますね」


幼馴染だという青年を見送ってきた弁慶が戻ってきて、少し掠れた声で言った。


「いや、いいよ。君も少しは休みなさい・・・・・・それよりもこちらに来て座ってくれるかい」
「はい」


兄である弁慶は八歳年上だった。琥珀色の髪と瞳。上品に整った顔立ちと無駄のない所作。本当に 兄弟なのかと疑ってしまうくらい、似ているところが一つもない。


「こんなときに悪いね、というかこんな時だから話したいのだが」


弁慶が向かいに座ったと同時に義父は話を切り出した。望美は内容はとうに知っている。実父が死 んだと連絡を受けた晩、義両親と三人で狭いダイニングで話し合ったことだ。


「君は今、家を出ているんだったね?」
「ええ、大学に近いマンションを借りていますが」
「義兄さんが死んでしまって、この家に戻るつもりかな」


失礼、と短く目で了解を取ってから義父は煙草に火をつけた。七つ星がトレードマークのそれは、 匂いがきつくてみんなの前で吸わないでと何回言ったことか。弁慶はでは僕も、と返してマルボロ に火をつける。二人の煙を吐き出す音が重なって、なんだか重苦しい。

煙草をじっと見ているのか、義父の問いかけに弁慶は長い睫を伏せた。弁慶にとっては考えもしな かったことだ。人が死に、財産分与や遺産相続、形見分けやらなんやらとここ三日でありえないく らい頭を回した。疲れを通り越して麻痺している頭では、叔父の言葉が右から左へと抜けてしまう 。


「それに、君は一人になる・・・・・・いや、一人ではないんだが」


叔父がちらと望美に視線を流した。通夜から火葬場送りまでずっと緊張して強張った面持ちのまま である。伏せた顔を隠すように藤色の長い髪が垂れ、平素よりも青ざめた肌色を引き立てている。 今年、高校三年になるという彼女は、今の弁慶にとって誰よりも遠い肉親であった。


「叔父さん、何をおっしゃいたいのですか」


弁慶はやや声のトーンを落として訊ねた。余計な言葉は言ってくれるなという意思表示である。


「・・・・・・妻とも話したんだが、望美を君に返そうと思ってね」


返すってのは変な表現だなと叔父は一人寂しく笑った。

弁慶は、自分の予想の範疇を遥かに超えた申し出に、ただ固まり、とうの望美に目を向ける。顔立 ちは母親に似ているだろうか。大きな新緑の双眸に滑らかな頬、形のいい唇は淡く色つき、細い首 である。美人という雰囲気を醸し出していないが、見る人が見ればとても綺麗な顔立ちをしている のが分かる。きっちり着た制服のスカートをぎゅうと握っていた。


「これは、急に思っていたことではなくてね。望美が大学に行くようになったらこの家に返そうと 思っていたんだよ。もちろん、望美の意思も義兄さんの意思も尊重してね。君は知らないようだけ れど、このことは義兄さんとも話していたんだ」
「父は、何と?」
「そうしてくれればとても嬉しい、とおっしゃっていたよ」
「では・・・・・・」


弁慶はようやく伏せていた目を上げ、望美をしっかりと見つめながら言った。


「では、僕に拒否権はありませんね。それが、父の遺志だというのなら」


それが、最初に弁慶と目を合わせたときのことである。










のんとお弁は半分兄弟
がっつんここから禁断始まります。うへへ