まぁまぁちょっと聞いてくいなまし
語る能だけの半端モンですから
まぁまぁ見てたこと話してるだけでござんす
日々雑記口伝
序の口:
旅のお人ですか?何?最近あったことをお聞きになりたい?そおですねぇ・・・・・・。何でもい
いんですかい?そりゃちと困った相談ですねえ、旦那。
お江戸のことでございますよ。ええ、そりゃあもう西から来て東に行くってぇお人と東から来て南
に抜けるってお人が袖触れるようなところでございます。喧嘩花さかせるのもまぁお分かりになる
でしょ?だって風習からお言葉から果ては塩加減まで違うんでございますからね、こりゃ意見も割
れて割れて皿まで割れるって話です。
相手が町人同士だったら奉行所が出てきてハイお開きってなぐあいなんですがね、お武家様同士だ
とこれがまた面倒で面倒で。やれ面目だやれどこそこの組にいて俸禄が、ってなる。お侍様も面子
だけで食っていけるわけじゃあないでしょう。食い扶持養うのに細君が着倒したお着物繕ってるな
んて当たり前、下のほうになると用心棒でもなんでもしてるらしいですからね。
ああ、ああ、席を立たないで下さいまし。話がそれてしまって申し訳ない。こうとりとめもなく話
してるとどうも横道に逸れて迷い込んで何話してるのか判らなくなる癖がございましてなぁ。よく
ない癖なんですがね、わかっちゃいるんだがどうもいけない。
判りました、判りましたからその御代を出した手を引っ込めちゃくれませんかね。そそ、ちゃあん
と座って、どうです、もう一杯飲んでみましょか。
さて、最近あったことですな。何でもいいんでしたな。
あくまでこれは見ていただけの話なんですがね、事を具に知っているというわけでもございません
し、何か裏があったとしても関係のない、言ってみれば酒の醸造を見学してたようなもんなんです
よ。ええ、酒造りの何たるかも知らず、ひとつひとつの作業にどんな意味があるかも考えず、原料
をどこから調達してきたかも見ていない、まぁ無責任な立場ですな。それでもいい、と言うならお
話しましょう。
但し――見ていたんで事実でございます。このしょぼくれた両目を賭けてお天道様に誓いますぜ。
あれは――三月ほど前の事でしたかなぁ、良く晴れた、秋の日のことでした。空なんか一面の群青
で雲の一つ一つが綺麗なものに見えた日のことですよ。染まりの始まった桜や銀杏やらが映えまし
てな、こりゃ俳人がよう喜ぶだろうという穏やかな日だったんでございますよ。そんな日の昼下が
りに――ここの茶屋から西のほうに走りまして一刻ほどの大辻でですな、刃傷沙汰がございました。
帯刀してるってんでもうお分かりでしょう、ええ、お武家様同士の諍いが発端でした。
始めはやれ肩がぶつかったのナンだの言い争いましてね、悪いのはそっちだナンだと口出してるう
ちはよかったんですが――ひょんなことから互いの仕える家の悪口になった。そっちが下なんだか
らこっちを立てろ、ときたらこちらが下とは何事だ、という風な具合ですね。こうなったら若い血
というのは止められないもんで。売り言葉に買い言葉、相手を黙らせるまで言わなくちゃ気がすま
ない。ああ、想像がつきます?なら話は早い。
大辻ですからね。天下の往来ですよ。もう何にも目に入らなかったんでしょうね。頭に血が上った
一人が強く罵りながら食って掛かる。そして先に手を出したのがどちらか、目撃した人もはっきり
とは言えないほど両者はもみくちゃになった。大勢の人が見てるんですよ、まさしく衆人目視の最
中ですよ、刀を抜いてにらみ合った否や――斬り合いが始まりました。
そして、一人死にました。
両者の怪我人の数はとんとんだったのですがね、死人が出たのはまずい。
ああ、先に申しますがお役人を責めないでくださいましな。駆けつけるも何も、ああいうところは
飛び込んでいってすぐ動いてくれるようなところじゃあないんです。事件が起こって、どこの誰が
当事者かわかって、ようやっと腰をあげるんです。ま、あの時は上げた腰が抜けたと思いますがね。
いやいや、実際現場を見て腰を抜かしていましたしねぇ。
ええ、死人が出たほうは有川家、出なかったほうは春日家でございます。
ここ江戸の数ある武家の中でも、とりわけ名の知られている名家同士、とでも申せばよろしいです
かね。そんな御家の若衆が真昼間に刃傷沙汰を起こして、結果、人を死なせた。
このことは夜が来るより早く江戸中に広まりましたよ。ええ、何度も申しますが大勢の人が見てい
た中でのことですからね。人の口に戸は立てられませんし、いくらお上が押さえつけても広まるも
のは広まる。さらに悪いことに口伝えというものは、まぁなんですか、その話を聞いた人の感性で
飾りがついてしまうんですな。尾ひれってヤツです。コイツは厄介者です。悪いほうにも良いほう
にもどんどん話が膨らんでいって伝染していって、最後の最後は事実と全く違う事件を作り上げる。
こうなってしまうとどうなると思いますか?
右で話す人の内容と、左で話す人のそれが違ってしまう。そして矛盾を照らし合わせる。噂しか情
報がないからきっとこうなんだろうと勝手に推測してまた違う話にしてしまって――混乱をきたす
んでございます。
いやいや、巷間の民に罪はございませんよ。ただの噂でございますから。けれど、今回ばっかしは
放っておくことも出来ないんです。先に申しましたとおり、名家同士の諍いですからね。何より外
聞が悪い。ついでに役人よりも位が高いゆえにおいそれと裁くわけにも行かない。奉行所なんても
んはそんなもんです。奉行ってでかい肩書きもってはいるが、所詮は城の決定で下された役職なん
ですから。その城に深く関わっている両家にそっぽ向かれて御覧なさいな、目も当てられなくなり
ますよ。
彼らはそれを良く知っている。だから、両方の若衆を取り押さえておくだけで精一杯だったんです
な。で、お殿様に采配を仰ぐ。お殿様だってこんなことに関わるの嫌でございましょう。曖昧な事
ばかり口になさってのらりくらりしていたんだとか。
そして、このことがまた別のことを引き起こしてしまうんです。
悲しいことでございました、と一言で申してしまっていいのか、未だにわかりません。悲しいのか
安心したのか、これでよかったと安堵するのとはまた別の、後ろめたさもあるような、そんな気持
ちになりますな。そして、それこそ誰が悪かったのか――いえ、悪いものはなかったのでしょう。
代わりに、いいものもなかったというだけで。
不憫、というのはちと違いますな、旦那。
不憫なんて情はですな、いわば俯瞰している立場が持ちうるもんなんですよ。ええ。当事者よりも
一段上にあるものがああ哀れなり、ああ悲しけり、なんて風に思うものなんです。物事を全部見渡
して、けれど自分は一切の汚れを引き受けなかった者が、のた打ち回って苦しんだ者に向けるんで
ございますよ。何、言い方がちときつくなってしまいましたな。
ただ――手前はこれでよかったんじゃねぇかと、勝手に一人そう思っているだけのことでやんすよ
。そう成らざるを得なかった。あのお二人がそういう道を選んだのは確かです。決して自暴自棄に
なっていたわけでも、全部投げ出したわけでもない。月並みな言葉を並べますとね、ただただ、切
に幸せになりたかったんじゃねぇかと、こう思うわけです。そして、それを許さなかった周囲が――
悪い、って言い切れたらいいんですがね。
さっき後ろめたいと申し上げたのはこういうことなんですな。
なぜ周囲が許さなかったのか?旦那、それもお聞きになりたいんですか?ううん・・・・・・こり
ゃちと込み入った話になりやすが・・・・・・いいでしょう、お話いたします。
ここに茶碗がございますでしょう。ええ、このよぼよぼの手に収まる茶碗ですよ。この茶碗、当た
り前ですがこれだけの茶の量しか入りません。それ以上は溢れてしまいます。
城の中ってぇのはこの茶碗とおんなじなんです。決まった量しか入らない。それ以上は溢れる――
つまり、役職にありつけないんですな。さて、旦那、この茶碗に予め中蓋でも落としておいたらど
うなると思います?ええ、簡単ですな。決まった量すら入りません。本来ならば入るはずの茶は溢
れて零れてしまいにゃ床に染み作るだけです。
何が言いたいかって?城の中にはね、この中蓋があるんですよ。お江戸の幕府が成ったときからず
うっとある中蓋がね。この厄介な中蓋の一部が有川家と春日家でございました。そのほかにも名が
知れているところだと・・・・・・平、源、藤原なんかのお家がございますね。ま、とにかく双方
とも古参の名家でしてなぁ・・・・・・余計な言葉差っぴけば対立する間柄でした。
これにゃあちと訳がございましてね、旦那。喧嘩おっぱじめるときには何某かの理由があるんでご
ざいますよ。むしゃくしゃしてたからやってやった、なんて理屈が通る世界じゃあございませんか
らね。むしろ権謀術数の世界ですから。屁理屈と理屈が肩並べてる世界です。
今の当主より一代前、つまり当主の父君の時代にですな、平と源の双方がやりあった。ええ?さぁ
てねぇ・・・・・・残念ながら、あっしは生まれてからこっちのことしかわからんものでね、まぁ
政事のことで何かもめたんだろうと思いますよ。浅学なもんで確かなことは申し上げられませんな。
ええ?平と源ですか?どうして?さぁ、それこそあっしにはさっぱりわかりません。聞いたところ
によるとですね、お江戸の時代より前から相容れない関係だったらしいですな。で、藤原も由緒あ
る――紀州の流れを汲んでいるんですがね――お家なんですが、ここは常に中立を守っていたよう
ですよ。かの名君吉宗公を育てた土地から来てますからね、それなりに力もあったのだとか。ま、
ここら辺は旦那のほうがお詳しいんじゃございませんか?
もともと、有川の家は平寄りだったんです。で、春日は源に加担する嫌いがあった。もうお分かり
でしょう。旦那だって、旦那の仲間が何かケチつけられたらどうします?黙っちゃいませんやね。
ええ、それでこそってもんです。もちろん、有川も春日も黙っていなかった。それから――確執は
深まるばかりでした。時間が経てばいいってもんじゃないんですね。あっちがこうならこっちはそ
れ、みたいな、嫌な関係だったのだと思いますよ。
これ以上はまた脱線してしまいますな。旦那に御代置いて行かれたんじゃたまったもんじゃない。
今話したことはあくまで先代から今の当主同士までのお話です。親が親ならってこともありうるん
でしょうが――どっこい、子供たちは違ったようですな。今の関係を良しとしなかった。親の、と
いうより大の大人がいがみ合う様をみて育ったからなのか、本来の気質なのかは知りませんが、関
係を修復する方向に動いていた気配がありました。いやぁ、藤原は中立でしたがね、そのことに関
しては協力していたのかもしれません。
けれど、春日には男児がおりませんでな。一つ宝は女児でございました。絶やさぬためには婿取り
せねばならない。両親ともそれはそれは選びに選び抜いたらしいですが――大事に育てたお嬢様が
いなくなって、どうなるんでしょうかね。冷たいようですが手前にはあずかり知らぬ話です。
ええ、ええ。
当主同士の諍いを子供らが必死になってなんとかしようとしている最中でした。
春日の一粒種と、有川の嫡男が姿を消したんですよ。旦那、白々しいですね。この話を聞きに来た
くせに。驚くんなら大根役者だってもっとマシにするってもんです。どうやって手前を探し出した
か聞きはしませんよ。
さて、春日の一粒種の御名を望美様、有川の嫡男の名を将臣殿と申しました。
なんの因果か、このお二人が出会ったことから始まるのです。
セリフねぇ!と思ったら全部一人の人間の言葉でした。あれ?
時代考証は脳内のものです。あしからず(当たり前!