空蝉 8
尼僧はこう言った。
「我々僧侶はただ座するわけではないのです。座す、立つ、歩む。その一つ一つが修行です。判りますか。今、息を吐きましたね?その動きですら修行となります。
よいですか、何をするにも修行が付きまといます。それに、耐えられないとお思いならば今すぐ下山なさいな。
それ相応の覚悟はお持ちかどうか、一度お考えになったほうがよいのではないですか」
何色にも見え、何色にも見えない瞳は、まっすぐに少女を捕らえた。
少女はこう言った。
「わたくしは仏の道を歩むことをずっと望んでおりました」
年老いた尼僧は聞いた。
「祖母君の弔いならば、あなたが出家なさる必要はございませんよ。家柄も良く、和歌もお上手な貴方ならば、前途がございましょう」
少女は言う。
「いいえ、弔うべきは祖母ではございませぬ。それに――血塗られた前途なぞ、いりませぬ」
年不相応なその言葉に、尼僧は眉を顰めるが、それもつかの間のこと。
背筋をただし、じっとわずかな動きも逃さないように見つめた。
「では、何ゆえその若い身空で出家などなさいます」
尼僧の問いかけに、少女はただ目を伏せた。
日が、完全に山に隠れてしまっても残照は西の空に十分に残っていた。ざわつく空気は落ち着きを取り戻し、
外套に包まれるように夜はやってくる。
知盛が西の対に姿を現したとき、星の数はずっと増えているころだった。
「よお・・・・・有川。牛との逢引はどうだった?」
「お前なぁ・・・・・・望美に変なこと吹き込んでないだろうな」
太い指で耳の上を掻いて知盛のからかいをやり過ごす。望美は廂に出て外を眺めていた。その背中をじいと見つめながら、知盛は続ける。
「さぁ、な。それとも吹き込んでほしかったか?」
「吹き込まれるようなことしてねぇよ」
「さぁ・・・・・・どうだかな・・・・・・」
知盛は苦笑いを浮かべる将臣を横目で見ながら琴に触れる。背後でおいと止める声が聞こえたが、気にも留めない。
平家はもともと古の帝――桓武天皇の流れを汲む一族である。一度は凋落したものの、傑出した政治力で清盛が盛り返した。
全盛期でもめったにお眼にかかれないような琴が、ここにあった。気まぐれにいくつか爪弾いてみるが、きちんと手入れがなされていた。
「で、なんだ、何かわかったのか?」
「おや、兄上は何もわからないご様子、だな」
くっとのどの奥で笑い、肩越しに振り返れば、将臣は苦りきった顔をしている。それがさらにおかしかったのか、
揺らめく灯明の中で知盛はさらに笑った。
「あの短刀、最後に見たのは・・・・・・いつだ?」
「は?」
「あの短刀さえどうにかなれば、説明がつく」
短い言葉の間にも、知盛は立ち上がり、塗籠に近付いて中の様子を窺っている。何を考えているのかわからない、
と望美が言っていたあの表情のままで、さしもの将臣もわからなかった。
「さぁ、一昨日はちゃんとあったぜ?」
将臣の答えを聞いているのかいないのか――知盛は視線をひとつに合わせることなく、母屋のあらゆるところを見回している。
それはまるで、狭い檻に入れられた獰猛な獣が逃げ出す隙を狙っているような様で、将臣は再び苦笑した。
「なんだよ、まるでホームズだな」
「ほー・・・・・・?」
「探偵だよ、世界的に有名な、な」
片目を瞑って言うが、言葉の半分は理解できていない。それでもほめられていることが判った。
「まぁいいさ。それで?どうするんだ?」
「どうする・・・・・・とは?」
「ミステリーにはつきものだろ、ほら、関係者呼び集めて――」
「――犯人はお前だ!とか言っちゃうの?知盛が?」
いつの間にかこちらの母屋に来ていた望美が、将臣の言葉をさらった。
「そうそう・・・・・・ははっ、想像すると笑えるな」
将臣に乗じて望美も笑う。芙蓉が花開くようなそれは、母屋の隅に追いやられた闇まで追い払うかのような清廉さを湛えたもので、
知らず、知盛の菫色の瞳が緩んだ。
そのとき。
「ここの穢れは、すっかり祓われたようでございまするな」
すうと一直線、御簾を突き破ってこちらの体に響くような声がした。
望美が振り向いた先には――藤衣に身を包んだ、菜摘お付の女房の姿があった。
少女は目を伏せたまま言った。
「我が一族が、この熊野にて栄華を振るうは、権現のなせる業ではございませぬ」
「それを、憂いてのご出家か?」
初めて、老いた尼僧に表情らしい表情が浮かんだが、それはけして優しいものではなかった。
「それはまた、ずいぶんと・・・・・・」
「・・・・・・」
「ずいぶんと思い上がったものでございまするな」
「入道様!」
「愚かなりまするぞ!」
その声は、さして張り上げて言ったわけではない。ただ、じっと瞳を逃がさず、唾棄するように言っただけである。
少女はやっと、年相応らしくびくりと肩を震わせた。
「たとえ貴方お一人が出家なさいましても、お父上は変わりますまい。離れて暮らした父上を憎いと思い、
その思いを恥じて出家したいと申しても言語道断。本末転倒でございます」
「しかし!これ以上は耐えられないのです!」
少女の滑らかな頬に赤みが差す。静寂の中に、ぴんと一本の直線を引くような声であった。衣を掴んだ小さな手が細かな動きを示し、
彼女の怒りは体からにじみ出て、部屋の隅の闇に解けていった。
「出家は生きながら死することと心得なさい」
密度を増した彼女の気配に動じることなく老女は言った。地を這うような声は少女の中心に辿り着き、
幾分かの落ち着きを取り戻させる効果をもたらす。
「貴方に法号を与えましょう――」
「あなたは・・・・・・」
望美のつぶらな瞳がさらに大きく見開かれる。驚愕を隠しもしない望美を、女房は御簾越しにふんと一瞥するとまっすぐに知盛を見た。
「菜摘姫御付女房、村瀬と申しまする」
丁寧に腰を折って見せるが、三人に対する敵意はありありと取れる。亡き主の部屋で大笑いしていれば当然の反応だろう。
すぐに笑顔を引っ込め、謝罪しようとした望美を、知盛が止めた。
「それは、殺された者の名、だが・・・・・・菜摘姫?」
ゆるりと、まるで何かの歌を読み上げるかのような調子だった。
やっと!やっと解決編に……涙
さぁ!ちも!謎を解け!!!www