伏籠 10




総てを聞いた九郎と景時は二人して苦りきった顔のまま黙り込んだ。話し手はもちろん弁慶である。彼の整理整頓された話し方はやはり感情が介入する余地を与えず、 二人にはわかりやすい以外の何物でもなかったが、どうしてもやりきれなさが残る。

成隆の処分は総て九郎に一任する、と弁慶が静かに言う。夏澄姫についても同様で、総てがわかった今、弁慶にこの件に関してさしたる興味がないのだ。 だから、九郎にとっては幾分か歯切れの悪い返事をするほかない。


「しかしだな・・・・・・それでも」

「判っています。本当の下手人が院の近しい人間の娘とあっては容易に下せる処分も下せないでしょう」

「あぁ」


平家も力を失い、源氏もさして確固たる権力を持っていない今、実質的にこの国の頂点に立つ人物こそ、後白河。味方につけるのも――敵に回すのは言わずもがなだが―― 多大な勇気と覚悟と知恵を要する。だから、この件に関して下手な処分を下せない。

かといって下手人不在で終わらせるのも出来ないのだ。何しろ、死んだのは院付きの義路に仕える女房。それなりの家の出であるはずだ。 たとえ下手人不問に処しても今度はそちらがだまっていない。

さすがの九郎も事態の複雑さと混迷に溜息をつかずにはいられなかった。


「まぁ、これに関しては彼女の助言を仰ぎましょうか。さすがの僕でも手に負いかねますから」

「そのときはアンタが自分で行けよ、生臭坊主」


ヒノエ、とその場にいた全員が振り返った。


「望美さんは・・・・・・?」

「ちゃんと送り届けてきたさ。このオレがぬかるわけないだろ」


ふんと悪態をひとつついて、開いてる場所に座り込んだ。その表情に暗いものはなく、これから降りかかる事態に対しての気構えが垣間見える。 後白河はとりわけ熊野参拝を好む。けして無関係のこととは言えないのだ。どうにかして、 今回関わったことを隠しおおせなければどうなるか判ったものではない。


「言ったでしょう、あそこは現役を嫌う、と」

「だったら今回のことだって放っておくぜ。アイツはそういう女だ」

「ふふ、そうでしたね」

「・・・・・・おい」


なんの話しだ?と顔に書いた九郎が二人に声をかけても笑って教えてくれない。景時は何となく予想がついたようで、 たった一言「強烈だからねぇ」と苦笑した。


「とりあえず、成隆殿の身柄をどうするかでしょ。ずっとあそこに入れておくわけにもいかないし」

「ああ、そうだな。無罪の男がいる場ではない」

「あぁ、そうだ、九郎」


弁慶はまたいつもの食えない微笑に戻って言う。


「望美さんをお借りしました。婚約者の君に、無断で悪かったですね?」

「なっ・・・・・・あれは方便だと!」

「へぇ・・・・・・じゃあオレが熊野にさらっても文句言うなよ?」

「ヒノエくん、彼女は神子だよ?」

「神子だろうがなんだろうが、オレは欲しいと思った女は逃がさないんでね」


にんまりと微笑んだヒノエの顔はどことなく弁慶に似ている。それからしばらく朱雀の二人が散々九郎をからかい、 景時が苦笑して助けに入るという会話が交わされた。

ふと思いついた疑問を口にしたのは景時。


「それにしても何で望美ちゃんを連れて行ったの?」


弁慶なら義路の無茶苦茶なお願いなど煙にまけるでしょ、といわんばかりの口調だった。九郎もそうだと頷いた中、ヒノエだけは溜息をつく。


「それはですね、景時。夏澄姫に会うために、ですよ」

「・・・・・・それって」

「まぁ察してください。それに、男と二人でこんな五月晴れの日に出歩くほど酔狂じゃないんです」

「お言葉だね、軍師殿?アンタさえいなけりゃ神子姫を満足させられたってのに」


大げさに嫌味なほど大きな溜息をついてヒノエは天井を見上げる。

空には気の早い星がいくつかまたたいている。ほのかな花の香りをはらんだ風が吹きぬけ、庭の木々を揺らす。 その木の葉の合間からまだ生まれたばかりの細い月が西に沈んだ太陽を追いかけるかのように傾いていた。

きっと、無味乾燥な荒野にも月は昇るのだろうと、ヒノエはぼんやりと思った。




吉野にはわかっていた。気遣う振りをして自分の局でない、夏澄の部屋に連れて行かれているということが。 肩を抱いて歩く夏澄の力が強くて痛いほどだということが。

だが、それでも真意はわからなかった。

そうして、体を横たえさせられ、突如として襲ってきた息苦しさに目を開けたとき。


――ひめさま


憎しみと、悲しみと、ためらいと、切なさが入り混じった夏澄の瞳。


――ひめさま

あぁ、あの日々が頭を過ぎった。

成隆とのことを打ち明けた日、笑って祝福してくれた笑顔。それとなく三重から庇ってくれた笑顔。

あれは。


――ひ、め・・・・・・


成隆を今でも想っていることになぜ気付かなかったのだろうか。喜んでいてくれると誤認していた。そうして失ってしまった――共に育った、己の主を。

本当のことを知った吉野にはもう生きることが出来なかった。姉妹のように育ち、誰よりも幸せを願う夏澄に憎まれていると判っただけで、それは死刑宣告に等しい。

吉野が真実を知ったとき、すなわち彼女が命を手放したときだった。

吉野は抵抗しなかった。

最後の最後まで、手を振り上げることもなく、だんだんと強まる力とかすれていく視界の中で声をあげることもなく。

最期まで抵抗しなかった。




*fin*









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あとがき
ミステリ第二弾でした。前回よりちょっとは成長しているといいです。
とかいいつつ今回もさしてすごいトリックだったわけではないですね。すいません。
えー、前回も申し上げましたが、人物名はそれっぽくつけているので、たとえ歴史の何かの本で同じ名前を見つけたとしてもそれは無関係です。
今回の鍵は「香り」だったわけですが、じゃんの勉強不足のせいで白檀と沈香の解釈が違っています。なので、此処で少し補足させてください。
白檀も沈香も香りの名前なのですが、実は同じ「香木」の名前でもあるのです。この時代だと単品で使ったとは考えにくいですね。
実際、香りを調合したときに感じる香りに自分の好きな名前を与えるようで、このような使い方はしません。
もっと勉強してから書くべきでした。
そして、弁慶が9で死後硬直について意見を述べていますが、一応資料を見て書きました。が!いつもどおり嘘です。
なお、景時に関する記述は全くもっての嘘ですので、あしからず。
それでは、次回があることを祈って。

6.26.2006  じゃん