階にぺたりと座り込んでどこか遠くを見ている。

なぁ、お前は一体、何を考えてるんだい?




花の境目




夏と戦を間近に控えた、汗ばむ陽気の中で望美は梶原景時の屋敷で休みをもらっていた。

三草山で、平家の陣が本当は空の布陣だということを見抜いた功績は自身が予想した以上の反響を呼んだ。

兵は「神子様の千里眼」「天空から見たのでは」と、まるで静かな水面に波紋がどこまでも広がっていくように囁きあい、 尊敬とも畏怖とも取れない距離で接するようになった。

「女は戦には出せない」と意固地になっていた九郎も、この状況の変化に陣頭に加わることを許可せざるを得ないことに至った。

もちろん、そのことについて異論が出るわけもなく、一層の重点配備に気を遣ったくらいだ。


――別に難しいことじゃないわ


望美は、うららかな陽の光を反射する池に向かって呟く。


――だって、知っていたもの。


もしも、あそこであの陣攻めて敗走を期すれば間違いなく鎌倉からいい顔をされなく、最悪、九郎の身柄が危険なものとなる。

だから、最善と取れる方法を、最良と思われる時機に実行したに過ぎない。

なんだか、気持ちの悪い違和感が腹のそこのほうに溜まってくる気がするのは、きっと思い込みだろうと望美は頭を 回すのを止めにした。


「おや、姫君、こんなところにいたのかい」


寝殿の、南庭に面した階に腰掛けていた望美を見つけたのはヒノエ。

燃え盛る火の色をした髪が、太陽に透けて鮮やかなくせに淡くなっているのを、ぼんやりと見上げた。


「ヒノエくん」

「なんだか思い悩んでる様子だね。
 俺のことでそんなに真剣になるほど考えてくれたって、思っていい?」


留まることを知らないセリフを並べ立てながら、彼は数段上に腰かけて望美を見下ろす。

一瞬、自分に向けられた視線をすぐさま池に戻されて、幾分か面白くない。


――ま、そんなとこがまたイイんだけど


「あー、うん。
 ちょっと、いろいろ、ね」

困った風に望美は首を小さくかしげて言う。

眼前に広がる庭は緑の主張が強い。

ちょうど花の境目とも言おうか、咲き誇る種類がなく、代わりに青々とした葉をその生命力いっぱいに広げる数多の草木が彩っていた。

それを視線を定めることなく見つめる横顔が、幾分か幼かった。

六波羅で初めて会った――初見のはずだがそんな気がしなかった――時に見た、ほころぶような笑顔がない代わりに、大原で怨霊と対峙したときのよ うな鋭さもない。

それに、こんなときにはいつも「またまた」とか「何言ってるの」と慌てるはずなのに、返ってきた答えは歯切れが悪い。

おかしいなとヒノエが胸の内で首を捻ったとき。


「こんなに暖かいから眠たくなったのかな。
 ふふ、ここで寝たら朔に怒られちゃうね」


一人で勝手に苦笑して、やおら立ち上がった。

「今日は休みだから」と朔が着せてくれた単の裾をぱんぱんと手で払う。


「望美?」

「ヒノエくんも、こんなとこで寝ちゃだめだよ?」


天女が微笑んで、天上に帰るときはきっと、こんな風にあっさり行ってしまうのだろうか。

未練もなく、ただ恋焦がれた元の世界に帰ることを喜んで。

緑の中を行ってしまう、と思った瞬間だった。


「・・・・・・ヒノエくん?」


思わず伸びた手が、まるでお母さんを引き止める幼子のように望美の手を掴んでいた。

間違いなく、今彼女を掴んでいる手はヒノエのものなのに、その当のヒノエも己の行動に理由を見出せないで、 らしくもなく困惑に緋色の瞳をゆるがせる。


「・・・・・・せっかくお邪魔虫が居なくて二人きりの逢瀬なのに、ツレナイ姫君だね、お前は。
 俺ともう少し一緒にいてくれたっていいんじゃない?」


それもほんの瞬きの間だけのこと。

すぐにいつもの調子を取り戻して、茶目っ気たっぷりに言えば、望美は相変わらず困った風に笑っている。

それは、一緒にいたくはないという意思表示なのか手を離してほしいという意思表示なのか図りかねるが、やや強引にヒノエは掴んだ手を引く。

ぺたりと、望美が元の位置に戻った。

しばしの沈黙を押し流すように風が吹き抜けて、雲が殊更ゆっくりと流れていく。

空の青さに白い雲が点々と存在し、陽の光の中で二人は控えめに呼吸を繰り返した。


「・・・・・・何か、あったのかい?」

「どうして?」

「聞いてるのはこっちだよ、望美」


質問を投げたのに、聞き返してくる望美に、ヒノエは苦笑して答えをかわした。


「ねぇ、姫君?
 俺は六波羅で言ったよね。
 お前が京に現れてからずっと見てきたってさ」

「・・・・・・うん」

「だから、お前の異変くらい簡単にわかるんだ」


異変というには少し大げさかもしれない。

けれど、望美にはいつもの、居るだけで周囲が和んでしまうような空気がなかったし、内面から溢れるような輝きもなかった。

遠まわしに話せと促しても、隣の花はつぼみのまま。


「・・・・・・戦の疲れが出ちゃったのかな。
 あたし、いっつも後からくるの。
 体育祭で、そのときは平気だったのに、昼休みになった途端、急に貧血起こしたりして」

「・・・・・・望美?」

「だから、なんともないよ」


小さく、口元だけで笑った望美は、それ以上の追及を拒むようにも見えた。

ヒノエは望美の言葉の半分も理解できていない。


「望美・・・・・・?」

「ほんとに、疲れが出てるだけだから」


心配しないでと笑う表情にこそ、心配を募らせてしまう。

幾人もの「姫君」を言葉巧みに心のうちを引きずり出して、その時々に最適な答えを返して遊んできたのに、な ぜだか今はうまくいかなかった。

ヒノエの綺麗な眉が寄せられて、紡ぎだそうとした言葉は喉にすべり落ちる。


――これが、神子


異界から召喚された尊き存在。

いついかなる時にも、その不可侵さは損なわれず、時に無常なまでに拒絶となる。

けれど。


「なぁ、望美?
 今日くらいは・・・・・・『神子様』をお休みしてもいいんじゃない?」

「えっ?」

「今日は怨霊退治も、戦の準備もお休みなんだろ?
 だったらさ、今このときくらいは『神子』も休んで『望美』になれよ」

「ヒノエくん・・・・・・」


言いようのない表情に、ヒノエの心が止まる。

どうして気付かなかったのかと臍を噛んでも、今、目の前に居る「望美」をいたわることが最優先。

綿でくるむように、受けた傷をやんわり撫でて癒すように。


――いきなり、神子になったんだもんな


神子という枠を取っ払ってしまえば、後に残るのは望美という、たった一人の少女だけ。

異界からやってきて、さぁ怨霊をさぁ平家をと崇められ奉られて取り残されたたった一人の少女。

急激な変化についていけない彼女は、ちいさく震えている。


「ヒノエくん・・・・・・」

「いいから、おいで、望美?」


後ろから抱きしめると、鼻腔をくすぐる心地のよい香り。

腕の中にすっぽりと納まる小さな体温に、ヒノエの何かが満たされていく。

毅然として脆弱、凛として柔和。

相反する彼女を、柔らかく腕に閉じ込めると、さした抵抗もなく、彼女は体を預けてきた。

それは、ヒノエの切ない希に火がついた瞬間。



――ねぇ知ってる?
   あたしは、あなたの運命を変えるために、ここに居るの。


花の境目は、大輪の花がほころぶために






*fin*











☆☆☆☆☆☆☆あとがき
ヒノエがへたれなんだかどうなんだか微妙なところ
珍しく日本語の題名となりました。
たんぞう、恋に落ちるの巻
よくわからなかったので梶原さんのお家は寝殿造にしました。
花の資料がなくて葉っぱばっかりにしたってのは内緒です。