言葉は然して重要じゃない

多くを語れば語るほど、伝えたいことは遠のくばかり


Beautiful tears


秋の落日は急いている。

はたと気付いたときにはもう夕闇がそばに寄り添っていて、人々は家路を急ぐ。

寒さに鼻頭を赤らめて、少々疲れた顔をしながら明かりともる住処へ戻っていく。

弁慶はため息を藍迫る空に向かって吐いた。

白くけぶってすぐに霧散していく。

赤々と燃える夕日を追うようにして西の空に細い月があった。

昼間の陽気に騙されてはいけない。

うっかり遠出をするとこうして帰りはとぷりと闇の中を行くことになってしまう。


――今夜は、景時のところに行きますか・・・・・・


いくら戦を経験しているとはいえ、日の暮れた街を一人歩きするわけにもいかない。

得物は懐の短刀だけで、些か心もとないのだ。

長い琥珀色の髪を隠す、黒の外套を被り直し、本来なら曲がるはずの辻をまっすぐ行った時。

見慣れた背中を見つけてしまった。

腰までかかろうかという長い藤色の髪に、薄紅の羽織、今はもう慣れたが、あの下穿き。

弁慶は歩を速める。

なぜ、一人で。

なぜ、こんな夕暮れに。


「望美さん?」

「わっ!べ、弁慶さん・・・・・・」


斜め後ろから声をかけてみれば、やはり白龍の神子。

新緑の双眸が、驚きで一瞬大きく見開かれたかと思うと、すぐに柔和な笑みの形へと変わる。


「どうしたのですか、こんなところで」

「あ、ちょっとお遣いに行ってたんです」

「君一人で、ですか?」

「・・・・・・はい」


はにかむようにうなずいた後、すぐに顔を伏せてしまった。

何か悪戯がばれた幼子が、追求を拒むときのような仕草だと思った。

しかし、この娘が隠すことなどたかが知れている。

もしくは、屋敷に居づらくなるようなことがあったのだろうか。


「では、一緒に帰りましょうか。
 今日は景時の屋敷に世話になろうと思うんです」


肩を並べ、歩調を合わせる。

しばしの沈黙があった。

互いの口から漏れる呼吸が、白くなって空間に溶けていく。

道の隅からじわじわと闇がにじんでくるように、あたりが暗くなっていき、弁慶の視界が少し不明確になる。


「・・・・・・弁慶さんは、どこに行っていたんですか?」

「ふふ、気になりますか?」

「えっ・・・・・・」

「ちょっと、薬草を摘みに、ね。
 この時期でないと手に入らないものがありますからね」

「そう、ですか・・・・・・」


薬草を摘んでいたのは本当だ。

ただ、一人で摘んでいたわけではないし、なにも草花だけが「薬草」とは限るまい。


「弁慶さん」

「何でしょう?」


横目で神子の姿を捉えながら、その表情を読み取ろうとしてみる。

呼びかけたくせに口を開こうとしない。

長いまつげを伏せて、足元のやや先を見ているようだ。


「・・・・・・あの」

「はい?」


こんなやり取りを数回続けた後。

唐突に歩みを止めて、いつに無く強い視線を向けたのは神子。

張り詰めた瞳の光が、凛と澄んでいていっそ神々しいまでだが、なぜか、追い込まれたときのように潤んでいる。


「あたしが、神子でよかったと思いますか?」

「・・・・・・え」

「あたしは戦も策略も何もわかりません。
 今まで、死体を見たことも無かった。
 戦がイヤなのはずっと変わらないし、早くこの時空が平和になればいいと思ってるけどっ・・・・・・」

「の、望美さ・・・・・・」


大きな瞳から、大きな粒が零れていく。

わなわなと震える唇が壊れそうな彼女の心を代弁している。

気丈に伸ばした背筋の裏側で、彼女は一体なにを思って血にまみれた谷を見てきたのだろう。

無垢なる瞳に、倒れる兵はどう焼きついたのだろう。


「もっと、あたしが強かったらっ・・・・・・!」

「望美さん・・・・・・」

幾筋も涙の跡が出来ては消えることがない。


――あぁ、純粋なる神子が美しい涙を流しているというのに、ぼくは。


「望美さん、戦うことが、つらいですか」

「・・・・・・つらいのは、傷つく人を見ることです」

「では、九郎に頼んで」

「やめてください。
 知らないところで、傷つく人が増えるほうがよほど」


――僕は、


「・・・・・・自分でも、矛盾してるってわかってるんです。
 わがままで、甘いということも」


言葉をかみ締めるように頷く。

止まってしまった足をどちらからともなく動かし始める。

もうすぐ、屋敷の門火が見えてくるはずだ。

そのことを彼女も悟ったのだろう。

袖の、容易に見つからないところで慌てて涙を拭った。


「あぁ、そんなに乱暴にしては・・・・・・」


弁慶は半ば強引に滑らかな頬に手を当て、懐から出した手拭で丁寧に跡を消していく。

触れた頬の冷たさを指先に感じて弁慶の心臓が、一つ大きく跳ねる。


――僕は、


「さぁ、これで大丈夫ですよ」


――僕は何も、


「つらいなら、いつでも僕のところに来てくれて構いませんからね」


――僕は何とも、思わない・・・・・・


「すみません、変なところ見せてしまって」

「いいえ。
 君との秘密が増えるなら、どんなことでもうれしいものです」


さぁと門をくぐるように促す。

小さな背中が篝火を受けて明るくなる。

望美に向けた笑顔がすうと引っ込み、困惑の視線を向けた。


――それでも、君を初めて美しいと・・・・・・


天の帳には気の早い星がいくつか輝いていた。













☆☆☆☆☆☆☆あとがき
黒い弁慶が書きたかったのに……! なんか違う、なんか違うぞ……!
のんちゃんが弱音を吐く時、弁慶は表面的な笑顔で聞いているといいです(えっ
弁慶が初めてのんちゃんを意識したのが多分べんさまルートの秋の京なんでしょう。
あらゆる矛盾がありますが、なにとぞ半目でスルーしてやってください。
あれ、シリアス禁止期間はどこいったんだ?