藍、青竹、茜、灰汁、浅葱、飴、鶯、薄紅、紫紺、純白、蘇芳。
鴇、菖蒲、海老茶、臙脂、黄土、生成、紅梅に桜。
極彩色の中で、貴方はたった一人――漆黒をまとっている。
There is the Place where I wanted
鎌倉との話し合いが正式なものとなり、約定をかわしてから数日後。
その日は、ひどく寒い日だった。
盛夏の折だというのに、厚い雲に太陽の日差しは遮られ、絶え間なく降り続ける雨に地上の温度は奪われた。
屋敷の者々は皆一様に衣を重ね着して、口に上る話題は今日の気候と体調を気遣う言葉ばかり。
葉を打つ雨音と、漣のような人々の囁きが混じって、望美の耳にはまるで調和の取れた雑音のように届くのだ。
それを、何をするともなくぼんやりと聞いていると、再び寝入ってしまいそうになる。
聡い泰衡は、とうに気付いているのだろう。
何もまとっては居ない望美の細い肩はひんやりと冷えて、衣を引き上げるとびくりと反応した。
「外が、気になるか?」
「なります」
「なぜだ?」
「だってまだ昼間です」
くるりと体を入れ替えて、泰衡の漆黒の瞳を捕らえる。
その視線に幾分かの非難の色が混じっていることは言わずと知れたことで、泰衡は口元を歪めただけで流してしまう。
御簾の外にその瞳を向け、ゆっくりと細めた。
「昼間とは思えない暗さだ」
「そういう問題じゃあありません」
「では、神子殿はどういう問題だと?」
反対に問われて、反論すべき言葉は喉の奥に滑り落ちてしまう。
だが、泰衡がこんな風に昼間から望美の下を訪れるということはかなり珍しい――倒れて以来だ。
それまでは気まぐれに夜に顔を見せて朝に帰ったり、こちらから唐突に訪れたりしていた。
触れられたくないわけじゃない。
御簾を完全に下ろした部屋は、時間の経過がない。
彼がここに来て、急激に、らしくもなく性急に自分を求めてからどれくらい経ったのか。
薄暗い天井はただ二人を雨露から守る使命を忠実に果たし、外界を遮断する御簾は何人たりとも近づけようとはしない。
二人は、生まれたままの姿で熱をかわすだけだ。
見事な調度も、繊細で豪華な刺繍を施した衣も、総ての意味をなくしてしまった。
楽がなくても、そこには艶めいた息を漏らす望美が居た。
火鉢がなくても、泰衡は蕩けるほどの熱を与えてくれた。
「神子殿は、何を考えておられる?」
「別に、何も」
「鎌倉とのことか?」
「・・・・・・違います」
組み敷いた体は、百合の茎のようにしなり、自分だけを写す瞳は毅然として脆い。
未だに、己の行いから脱せないことを、泰衡は誰よりもよく知っている。
「閨に、政を持ち込むのは男と相場が決まっているのだが、貴方は例外らしいな」
「・・・・・・んっ、どういう意味ですか」
首筋に顔を埋めてくる泰衡から逃れるように、望美は体をよじって彼の顔を覗き込む。
長い藤色の髪は無造作に散らばり、見下ろす泰衡の漆黒の髪と混ざり合って一枚の錦を作り出している。
己の与えた快楽と劣情で潤んだ新緑の双眸は唐から伝わる玉より美しく、泰衡は首筋が粟立つような興奮に身が包まれた。
「貴方はいつも――」
泰衡の答えは、望美の中に解けていって、本人が聞くことは叶わなかった。
さらに数日が過ぎた。
暑さは例年と変わりがなく、奥州とはいえねっとりと重く、水を求めてしまう気温は容赦がない。
自分の部屋が与えられている対から寝殿へ行こうとした望美の脚が、渡殿の中ほどで止まった。
ふと外を見やれば、南庭の中央、泳げるのではと思うような広い池の水面が乱れて木々がざわざわとさざめきたった。
温い風が、陶磁器のような彼女の頬を撫でてすり抜けていく。
暑い夏の日。
なのになぜか望美の肌は粟立った。
背筋に沿って悪寒が走り抜けて、骨の合間に薄ら寒さを感じるような、そんな寒気に思わず自分を力いっぱい抱きしめる。
「・・・・・・ふふ」
自嘲の笑みを、これ以上ないくらいの太陽が照らし出すのに、望美は冬空の曇天の下に居るように縮こまってしまう。
一年前の夏のとある夜。
涼しさを求めて、濡れ縁で他愛もない話をした。
話をして、熊野へ行こうと、頼朝からの命令もあったけれど、みんなで行こうと笑いながら話した。
あのときの自分とどれだけ違うのだろうか。
海岸で景時の花火――実際には陰陽術の応用らしかったが――を見た自分。
迷子になった白龍を必死で探した自分。
夜、鈴虫の合唱の中、那智の滝で敦盛と話した自分。
今の自分と寸分も違わないのに、一つだけ。
「・・・・・・ふふふ」
自嘲に歪んでいた頬に、透明な雫が一つ二つと伝ってゆく。
一つだけ。
初めて泰衡の部屋を訪れた夜。
彼には雨音が耳についたと言い訳したけれど、本当は違った。
本当は、逃げようと思ったのだ。
彼は知らない。
たくさんの、自分でも知らない「春日望美」を知っているけれど、彼は知らない。
――これが・・・・・・
たくさんの命と、万物に作用する力を操った罪かと、諦めに似た心境で、涙を拭う。
鎌倉直前、泰衡は唐突に言った。
泣きながら人を殺すのと、無表情に人を殺すのに、なんの大差があるのだと。
結果として殺された人間は死んでいるし、殺したことには変わりがないではないかと。
その時はぼんやりとしか判らなかった意味が、今は良くわかる。
――そう、変わらないもの
泣いていたとてその胸の内では嘲笑っているかもしれないし、無表情だとて実は血の涙を流して斬ったのかもしれない。
受ける罰の重みも、結果も同じ。
だから、あの人は感情を殺す方を選んだのだ。
まるで出家する僧のように――要らない感情はすべて切り捨ててしまったのだ。
この平泉を守り通すために。
怜悧さを鎧に、知識と知恵を武器にして。
過去に戻りたいとも、やり直したいとも思わない。
伽羅御所は蝉の鳴き声と、合間に聞こえる鳥の鳴き声で賑やかだ。
外に眼を向ければ、広がる草原に、聳え立つ山々、倦まずたゆまず流れる大河。
夏の強い緑も、冬の水墨画のような景色も、総てが珠玉の美しさをたたえて己を受け入れてくれる。
極彩色の奥州は、あの人が生まれて育って、いつか朽ちるべき土地。
「泰衡さん・・・・・・?」
渡殿から、寝殿へと入っていく彼の外套が見えた。
彼の父である秀衡はこちらで過ごしているので不思議なことではない。
不思議なのは、遠めに見ても泣きたくなるような自分だ。
視線を彼に合わせたまま移動させてゆくと、こちらに来るのが判った。
この暑気のなかでも汗一つかいていないところはさすがである。
「また逃げ出すおつもりか、神子殿」
「・・・・・・いいえ」
ふと寂しく笑った望美にもわかっていた。
あの、夏だというのに肌寒かった、あの日。
弁慶がこの平泉を出立する日だったということを。
もう逃げられないのだということを。
泰衡の隣を誰にも渡さないためになした大罪が、一年前の自分との決定的な違い。
神の子は、いつしか沙羅双樹の下で瞑目する釈迦に囁く悪魔に成り下がる。
☆☆☆☆☆☆☆あとがき
やっぱり前回とつながってしまいました。
なので、連載ですとは宣言しませんが、一応、連載だということにします。
んでもって・・・・・・昼間っからなにやってんだ、こいつらは
しかも無印のイベントもごちゃ混ぜです。
わ〜ごめんなさいごめんなさい
今回はダークさが幾分か和らいだ気がします。だからって甘くないところがやすーんのいいところ!(にこり