心拍数 近づけようこのままじゃ寂しいから

狂おしいほど抱しめ合おう




Hold me so Tight




将臣はふうっと一息ついた。

八畳の部屋はダンボールの箱でほとんど埋まっており、これからこれが全て片付くとは到底思えない。

簡単なキッチンでお湯を沸かし、探り出したカップを軽くすすぐとインスタントコーヒーを淹れる。

コクも風味もない、「コーヒーの味がする」液体を喉に流し込んで、窓の外に眼を向けた。

今日から、ここが将臣の城である。




あの時空から還ってみると、自分が飛ばされた時からちょうど一週間しか経っていなかった。

受けるはずの体育の授業は保健室で休んでいたということになっていて、そのまま早退したということになっていると望美が教えてくれた。

一週間の空白は、なんと「インフルエンザにより登校不可」と、ごく自然な理由がついている。

譲を除く家族―両親―もそういう記憶であった。

第一体育館に続く渡り廊下で飛ばされたはずの「有川将臣」は自分の部屋で目を覚ました、となっていてそれからはなんら変わる日々ではなかった。


表面上は。


あの時空で受けた傷は跡形もなく治っていることはおろか、年齢でさえ元通りだったのは驚かされる。

だが、記憶はいっそう鮮明なものとなっていて、篠笛を聴くたびに細面の敦盛が脳裏を横切ったし、音楽の授業で聞いた琴や琵琶の音はほんのわずかな時間、自分を還内府に戻した。

そのことに気づいているはずの望美は何も言わず、いつも隣にいてくれた。

季節がめぐり、いつの間にかそういうことになっている二人をクラスメイトは「あぁ、やっぱりね」と受け入れ、さほど驚かれはしなかった。


――なんか、拍子抜けしちゃうね


初めて関係が公のものとなったとき、望美は少し悪戯っぽい笑顔でこちらを振り返った。

ああ、と一緒に苦笑したのは一年前の事。

それから時は経ち、趣味のダイビングで海にもぐったり、夏の終わりから受験に本腰を入れたりで現在に至る。

この春、将臣は都内の大学に合格した。




ついと窓辺から体を離し、歩きざまに手のカップを適当な箱の上において玄関のドアを開ける。


「わぁ!」

「お帰り」


ドアの向こうには、ノブに手を掛けようとした格好の望美の姿。

引越しの手伝いにふさわしく、ジーンズに灰色のカットソーという軽装だ。

長く真っ直ぐな紫苑の髪はくるりとひとつにまとめ、もう一方の手にはコンビニの袋。


「びっくりさせないでよ、もう」

「わりぃ、窓から見えたからさ」


コーヒー飲むか、と聞きながらコンロに火をつける。


「荷物、全部入ったね。
 これからが大変なんだけど・・・・・・」

「ま、扱いに気を使うのはパソコンくらいだし、ベッドはあるから寝るには困らないな」

「でも、これほんとに全部片付くかな?」


湯気を立てるカップを受け取りながら、望美は自分の心配と同じことを口にする。

たったそれだけなのに、笑えるから不思議だ。


「なぁに?」


目聡く気づいた望美は将臣の隣に座る。

二人、ベッドに背を預けてしばしの休憩だ。


「いや、俺とおんなじ事考えたなってな」

「だって、クローゼット、結構狭いんだもの」

「はは、入れる洋服は少ないから平気だろ。
 あれだ、テレビやら冷蔵庫がちゃんとしてないからこんななんだよ」


望美がコンビニから買ってきてくれたおにぎりを口に入れながら改めて部屋を見渡す。

八畳のキッチン付、ユニットバス。

大学まで電車一本で二十分ほどで、駅からは徒歩十五分。

学生が多い地域らしく、コンビにはあるし家賃もさほど高くもなかった。

見事第一志望校に受かったはいいが、鎌倉の実家から通うには難儀したのでこの春から家を出ることにした。


「一人暮らしかぁ・・・・・・いいなぁ」

「お前、それ何回目だ?」

「だって・・・・・・うちのお母さん、家から通えるならいいでしょって」

「お前のとこ・・・・・・あぁ、ま、無理な距離じゃないな」


望美は望美で、無事に別の大学に合格していた。

本当は、将臣と同じところを希望していたのだが、実力が及ばなかった。

ランクとしては違いはないのだが、いわく、入試数学のレベルが違ったらしい。


「でも、一時間かかるんだよ?
 朝が心配だし、それに帰りの電車も早いし・・・・・・」

「おばさんが起こしてくれるなら朝の心配は要らないな」


ははっと短く笑った将臣に、頬を膨らませる望美。

そんな表情は何度も飽きるくらいに見ているはずなのに、いつまでも見ていたいと願ってしまう。


「将臣君こそ、朝寝坊しないでね?
 一人だとご飯だっておざなりになりそうだし・・・・・」

「それ、俺のお袋と同じせりふ」

「おばさんも、あたしと同じ心配してるんだ。
 ふふっ、なんか、将臣君のお母さんになったみたい」


今度は微笑んだ口に、コーヒーを運ぶ。

こくりと嚥下し、カップを元の位置に戻したとき、急に望美の視界が遮られる。


「お前がお袋なのは、困るな・・・・・」

「え・・・・・?」


刹那触れた柔らかい唇に、眼を閉じることさえ忘れた。


「こういうこと、できないだろ?」


大きな翠玉の瞳に映った将臣が、にやりと笑う。

それを、ゆっくりと認めていく望美の頬は、やはりゆっくりと薄紅に染まっていった。


「まま・・・・・・将臣君!」

「お袋相手じゃ、やりたくもねぇけどな」

「い、いきなり・・・・・・!」

「おっと、コーヒーがこぼれるぜ。
 やめてくれよ、入居日に床汚すな」


大きくて骨ばった手が、望美からカップを奪い、離れたダンボールの上に置く。

そして、しなやかにすばやく抱きしめられた。

突然のことに望美は驚くが、将臣のいつもの匂いをかいでふっと力を抜く。


「初めてだね」

「・・・・・・何が?」

「別々の学校に通うの」

「そういえば、そうだな」


くすくすと笑いをこぼして、望美は広い背中に腕を回す。


「将臣君が隣の家にいないなんて、すっごく変」

「寂しいって言えよ」


わずかに体を離した代わりに、触れるだけのキスを交わす。


「だって変なんだもん」

「すぐに慣れるさ・・・・・・譲もいるだろ?
 それに、離れてても俺はここにいるぜ」


互いの体温がそばになかった、あの時空。

忘れはしない。

会える時間がひどく短くて、このまま一緒にいたいと願った回数。

寂しい、悲しいなどという次元ではなく、それはもはや不自然なことだった。


「ね、知ってる?
 あたしの大学、ここからでも十分通えるの」

「なんだ、それ。
 もう『お泊り』するつもりでいるのか?」

「だめなの?」

「だめってか・・・・・・おじさんにばれたら殺されそうだな、と」


困ったように、けれどうれしそうに首を傾げる将臣に、望美は笑顔を深くして抱きついた。


「お困りのときは、源氏の神子が加勢してあげるわ、還内府殿?」

「それは百人力にも勝るお言葉で」


こうやって、笑いながら話せるようになった。

それは、奇跡にも近いこと。

敵対していた二人はいつもどこかで互いの心拍数を探していたから。

今は、ただ、誰にも邪魔されない空間で寄せ合うだけ。







☆☆☆☆☆あとがき
これを書いた後、まったくシリアスなものが書けなくなったという、因縁深い一作。
まぁ、とりあえず、こっから引越しそっちのけでいろいろやっちゃえばいいじゃん、て話。(えー
引越し作業は疲れますね!

心の友・葉月ちゃんに背景(挿絵)を描け!と脅し……いやいや、かわいくおねだりしたところ、描いてくれました!
二人の世界が出来上がってて眼福でございますvvv
この度は(も)ありがとうございます!

Special Thanks to 葉月様「色環」