春の陽気に気もそぞろになりがちなある日。
それはまだ二人が幼馴染だったときのお話。
Count Zero
のんびりとした気候につられてのんびりと過ごした春休みは、溜まった宿題に追われるうちに開けてしまい、
とうとう望美と将臣は最高学年になってしまった。
これからしばらくは今までのようにのほほんとしてはいられない。
卒業が近付くということは即ち受験がやってくるということで、
なんだか急に包まれていた繭から抜け出すような不安と寂しさが付きまとう。
ぽいと放り出された外の世界は、時間の流れがとても速くて、ついていくのが精一杯。
「あ〜、眠い」
「だからバイト控えなよって言ったのに」
朝のラッシュアワーで駅のホームには人々の眠気が充満している。
それにつられた将臣の盛大な欠伸に、望美は嘆息した。
受験だろうがなんだろうが、この幼馴染は夏に沖縄に行くための資金を貯めるため、春休みぎりぎりまでバイトに明け暮れていた。
ぶちぶち文句を垂れながら望美も宿題を手伝ったが、それでも終わらなかった彼は徹夜をしたのだった。
「仕方ねぇだろ。それにオレ、三年くらい勉強から離れてたんだからさ」
「それはそうだけど・・・・・・」
それでも、将臣の頭は回転が速い。
三年のブランクがあるとは思えないほどの吸収のよさで一気に片付けてしまうくらいだ。
頭いいくせに、と望美が拗ねた視線を明後日の方向に逃がしたとき。
ぎくりとその細い肩が強張り、将臣が気付かないようにとわざと話題を変えた。
「あ、あれだね、ほら、二年のときからクラス持ち上がりだからなんか新鮮じゃないね!」
「うん?あぁ、そうだな。
二年で本格的に文理選択分かれたからな・・・・・・って、懐かしい顔があるじゃねぇか」
「・・・・・・っ!」
顔一つ分ゆうに背の高い将臣は、望美の頭の向こうに視線を投げかけ、そうして彼と目を合わせた。
「・・・・・・・」
「一年の春、だっけか?」
そう、それは一年生になりたてのときのことだった。
あの時もこんな風に二人並んで電車を待っていて、中学とは違う、着慣れない制服にどうにか馴染もうと四苦八苦していたとき。
それは眠気も周囲の視線も吹っ飛ばす勢いで望美の耳に届いた。
「あのっ!オレ、あなたが好きです!」
違う制服を着ていて、見たことも無い顔の彼は耳のてっぺんから首まで真っ赤にしてそう告げた。
年の頃合は同じくらいだろうか。
ぱりっと音がしそうな学ランに身を包んだ彼は熱のこもった視線で望美だけを見ていた。
「えっ・・・・・・ええっ!」
一方、告げられた望美はどう反応したものか、そして周囲の注目を一身に浴びていることが恥ずかしいや
らでまともな言葉が出てこない。
頬が赤くなるのだけが判った。
「あ、あの・・・・・・」
「行くぞ」
ちょうどホームに滑り込んできた電車の轟音と、望美の背後にいた将臣の手によって言葉の続きが遮られる。
そうこうしているうちに彼は電車に乗りっぱぐれ、望美と将臣はすし詰め状態と化した車内で無言のまま学校の
最寄り駅まで連れて行かれることになる。
望美はなぜだかすぐそばの将臣の顔を見上げられなくて、掴まれたままの腕が痛かった。
今朝の珍騒動はクラスメイトに運悪く目撃され、まだ良く知らない彼女たちはここぞとばかりに遠慮なく望美を質問で埋め尽くした。
しかも、庇ったのが入学早々目立つ顔立ちで一目置かれている将臣とあるのだから話題性は十分だった。
『ね、付き合うの?』
『どんなこだった?』
『学ランだから―、東かな?』
『東って結構かっこいい男の子多いんだよねぇ』
無責任なお口は閉じてくれない。
あっという間に望美の知るわけがない人々の間まで広まってしまい、その日一日嫌がおうにも閉口して過ごさなくてはならなかった。
大体、望美自身には自覚がないが、長いまっすぐな藤色の髪と大きな翠玉の瞳は印象的だし、笑うと清廉な白い花が一気にほころぶようで、
男子の間で話題になっている。
という二人が騒動の登場人物なのだから、周囲に口をつぐめというほうが無理だった。
「はぁ・・・・・・」
「おい、こぼれる」
いつも以上に――まだクラスに馴染みきれていないので緊張のし通しに加えて、今日のことで質問攻めにあった望美は疲れきっていた。
こんなときは将臣に甘えるに限る。
そう思い立って夕食の後にお饅頭を二つばかり持参して将臣の部屋にお邪魔していた。
「あ、ごめん・・・・・・なんだかなぁ」
一階から将臣が限りなく適当に淹れてきてくれたお茶を受け取りながら、望美は今朝のことをリフレインする。
正直に言うと、告白されたのは初めてのことで、嬉しくないと言えば嘘になる、というかむしろ顔がにやけてしまう。
「まぁ、勇気ある若者だったな」
「若者・・・・・・って、将臣君と同じくらいじゃない!」
「こーんなお前が好きだっていうんだから、相当な物好きだぜ」
じゅうたんの上にぺたんと座りこんだ望美の正面、低いテーブルの向かい側に将臣はどっかりと腰を下ろし、
さして内容が充実したわけでないテレビに視線を合わせる。
「あー、でももうちょっとちゃんと顔見ておけばよかったかも」
「へぇ?そうか?ただのボッチャンだったぜ?」
「もう!わかんないでしょ!背が高いのは覚えてるんだけどなぁ」
「ふーん?」
「結構好みだったかも・・・・・・ね」
ぐいと体を前に出し、将臣に近づけた望美は悪戯な熱をこめて将臣を見る。
それなのに、将臣のオリエンタルブルーはテレビに向かっていた。
「どう思う?」
「どうって・・・・・・何が」
「今朝の人!名前も知らないけど・・・・・・」
「何、お前付き合うの?」
ようやくこちらを向いた将臣は、どことなくイラついているようだった。
テーブルに行儀悪く載せた片肘あたりに不機嫌が漂い、望美の次の言葉を待っている。
「って、まだ決めたわけじゃないけど・・・・・・」
「お前ね、そんな気持ちで付き合うとか止めておけよ?
だいたい付き合ったことないから付き合ってみたいの〜くらいなんだろ?それって相手にめちゃくちゃ失礼だからな」
「なっ!将臣くんだって付き合ったことないくせに!」
「オレはいいんだよ、オレは。
大体、お前がぼーっとしてるから変なのに捕まるんだよ!あの男も変な女に惚れたもんだぜ!」
「黙って聞いてれば!変ってどういうことよ!
何でそんな怒ってるの!変なのって、あの人に失礼じゃない!」
「へー、お前、アイツを庇うんだ?」
「庇うって!大体良く知りもしない人に!」
「お前だって知らないだろうが!今日初めて喋ったくせに!」
幼馴染というのは、お互いの間にある遠慮という大切な壁が薄いもので、ひょいと簡単に越えてしまい、
その先はもう売り言葉に買い言葉、喧嘩は十倍で買うことになる。
こういう場合、引き際が難しい。
言葉が過ぎれば後から元通りになるのが大変だし、かといって譲歩すればイラつきが腹の底でくすぶって結果的に酷くなる。
その引き際は将臣が毎回引き取るのだが、今回も例外ではなかった。
ただし、望美にとって全く以って不可解な一言を残して。
「この鈍感!」
電車がホームに滑り込んでくる前のアナウンスが感情を抑えて流れる。
それを聞くと、あぁ今日も一日が始まるのかと周囲の空気が溜息をつくのがわかる。
朝は、これから流れる一日に対して構える時間が短すぎるから、わざと望美は二年前の話を持ち出した。
「ねぇ、あれって・・・・・・将臣くん、嫉妬してくれたんだよね?」
「はぁ?なんだ、突然」
目の前の人が一歩下がったのに合わせて将臣も一歩下がり、ついでにかばんを持ち替えながら望美を見下ろす。
あのころはさして変わらなかった目線も、いつの間にか将臣だけが高い位置にいる。
それが、なんだかまた悔しくて、望美はついつい要らない一言を口にしてしまうのだった。
「あの時、すっごく怒ってたのって、妬いたからでしょう?昔から将臣君は素直じゃないからなぁ〜」
「そうか?オレはお前と違ってかなり素直だぜ?」
下から見上げる望美の無邪気に煽る視線を受けて、将臣はにやりと笑い、そして一瞬の掠めるだけのキスをした。
くっついて離れた柔らかい唇を認識しきれないまま、それでも望美は何をされたのかわかったようで、二年前と同じく頬を赤くする。
「まっ・・・・・・ままままさおみく!」
「な?オレって素直だろ?」
お前に今キスしたいからしたんだ、とやっぱり笑いながら見下ろした。
二人の視線の高さが変わったように、二人の関係もあのころより少しだけ成長している。
望美には将臣以外ありえないし、将臣にとって望美は両腕の中に閉じ込めるたった一人の存在。
望美の抗議の声は電車のブレーキ音でかき消されてしまうが、周囲の人間はばっちり聞いていたし、見てしまった。
もちろん、東の制服を着た彼も。
登校してから、また学校中の話題をさらったのはいうまでもない。
将臣がキスを見せ付けたことで、東の彼が再アタックを断念したことは後日知ることとなる。
*FIN*
☆☆☆☆☆☆あとがき
なんなんだ、このバカップルは。砂吐き捨てる甘さですね。
幼馴染との会話って、周りからすれば喧嘩してるみたいに聞こえるのですが、本人同士はいたって普通の会話なんすよ。
少なくともじゃんはそう。この二人の喧嘩も、幼馴染らしさが出てたらいいです。