日々雑記口伝




弐:市中於噂聞事

城の中の関係は悪化していく一方でした。

子供らがいくら動いたって所詮は子の成すことなんです。ええ、旦那は腑に落ちないでしょうね。 けれど、大人の世界のことですよ。旦那のその両腕で何が出来ますか。旦那が号令かけたとて何を 成すことが出来ますか?しかもそれらは旦那自身が成したことではありません。旦那がいて、旦那 のオヤジさんがいて、そのオヤジさんが築いてきたものを受け継いでいるだけです――手前も、そ こな娘も、みんな一緒です。人間一人で出来ることなんて高が知れてるんでございますよ。

手前は城に登ったこたぁございませんがね、眺めを想像するくらいならお安い御用でございます。

きっと、わらわらと人間がいるんでございましょうなぁ。いいものも悪いものも見えるんでしょう 。わらわら、あっちいったりこっちいったり、本人は移動してるつもりでも遠くからみりゃそうで もないんでしょう。どんなに重い荷物かついでいたってわからないんでしょう。でも、わらわら動 いているんですよ。出たり戻ったり引っ込んだり行ったりしながら。こう、わらわらと。

結局、人なんてそんなものなんだろうと思いますよ。実際、お上の頭の中なんてわかりませんしね 。逆に言えばお上だって手前らの頭の中は判らない。城より高いものを手前は知りませんが、きっ と、そこからの眺めは城さえも小さな点に見えるのかも知れませんな。

どうか変な風に受け取らないでくださいましな。と、言っても無駄でしょうか。

春日にて正式に奥入りが決まる、少し前――奥に入るってぇも、これも大層な準備が必要ですから ね、着物揃えたりなんだり、たくさんそういうのが要るんでしょう――のことです。望美様はまた 悪い癖が出た。いやいや、周囲の者はもちろん止めますよ。その玉の肌に瑕でもついたらどうする んですと。しかしまぁこれが剛毅なお嬢さんでね、聞いて止めるくらいなら初めっから箱根なんて 行きやしませんて。




「・・・・・・という絵師の姿絵で新しいのが出たって聞いたんだけどなあ」
「望美、そんなことでまた街に出てきたの?」
「そんなこと、っていうけれど朔だって楽しみにしてるでしょう?」


道中をご一緒に歩いているのは梶原の娘、朔様でございました。黒い髪を顎したあたりで切りそろ えた、控えめだけれど楚々とした雰囲気がとても品の良い、いいお嬢様でいらっしゃいます。御髪 を下ろしたのは若くして夫君をなくしたから、と聞きましたが、手前は詳しくはしりません。

ただ、仏門に下るも寺に入山することをご母堂と兄君がお許しにならなかったのだとか。

お二人は前から親交がありましてね、この日も――初夏ってぇわけでもなかったんですが、なんだ か暑い日でしたねぇ、目も眩むような青空は白い雲の動くさまを一層鮮明にしておりました。風が ないせいなのか、遠くの景色は一枚の絵のようでしたよ。近くの木々は一気にうっそうとしまして ね、ああこれから夏になるんだなぁなんて、そんな予感がしました。でも初夏でもなかったですな 。翌日はそれはそれは寒かったですから。


「ねぇ、望美?」


朔様は不安にその面を翳らせて、半歩先をゆく望美様に声をかけました。


「あなた・・・・・・本当に奥に入るの?」
「朔ったら、またそんなこと言うのね。誰かしら、お父様にでも聞いたの?」


一つだけ言っておきましょう。
望美様は本当に自分の奥入りが決まっているとは思っておりませんでした。春日の家の位を知らな いわけではなく、何と申しますか――父君のご冗談だとそう思っておる節がございましたな。ただ 、これも少し滑稽な話で、外から見りゃ当たり前なのに内に居るものは全く気付かないというか、 これも何かの因果なのでしょうなぁ、とにかく彼の人は城に上がってしずしずと女の世界に入るだ なんて想像もしていなかったのでしょう。快活を絵に描いたような笑顔で振り向きました。


「朔、婚儀を上げるとしたら、そのとき隣に居る人は自分で選びたいの」
「・・・・・・でも」
「そう、巧く出会えるものでもないけれどね」


そんなこんなでお二人は絵師が売りに出している屋台に着きました。

このあたりの娯楽は手前にゃあとんと解せませんでなぁ。いや、お恥ずかしい話、あの絵に書かれ ている美男子のどこがいいんだとこうなってしまうわけです。だからと言ってとうとうと語られて も更に頭を抱える始末なんですがね。

ああ、望美様いわく、美男子それ自体ではなく、その絵そのものが好きなんだと申しておりました よ。色使い、筆使い、全部好きなのだと。

その絵を売り出すのはその日が初めてだったようでございます。殺到するというわけではなく、け れど屋台は盛況だったらしいですな。黒山の人だかりの半分以上はもちろん女人が占め、袖の下か ら銭を出しては買い求めておりました。


「・・・・・・らしいねえ」
「本当に?まったくどうなることやら・・・・・・平の・・・・・・」
「それよりも怖いのは有川・・・・・・」
「反発する源もどう・・・・・・でもね・・・・・・」


人ごみで、知った単語を耳に挟むとそちらに反応してしまう、ってこたぁ旦那にないですかね?

春日に生まれたものとして、平も源も、耳に馴染んだお言葉でした。敵対する関係にあるというこ とは知っていても、望美様はなぜ敵対するのかどうして手を取り合ってはいけないのか、このあた りのことがさっぱりわかりませんでした。

いや、手前もわからなかった――今もわかりませんがね、先に申しましたように、先代、先々代か らのことですから。憎しみ、憤り、怒り、仇意、嫉み、なんだかそんなものばかりに囚われて一体 本当に何を嫌いだったのか、何が気に食わなかったのか、そんなことは全く関係なくなっていたの かもしれません。相手の一体何がいやだったのか、ここがすっぽり抜けてしまっているんですね。 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、そんな言葉もあるくらいですから、それに似た状況だったのでしょう 。

望美様はおそらく、双方がいがみ合う状況が解せないばかりか、相手に興味を持っているようでし た。とりわけ有川、このお家に対してある種「とっかかり」のようなものを感じていたのかもしれ ませんねえ。

絵師の新作を放り出して、振り向くと道の反対側で恰幅のいいおかみさんが二三人集まって井戸端 会議としゃれ込んでおりました。それぞれ流行の柄を粋に着こなしておりましてね、年を重ねた手 の甲なんかはシワが寄っておりましたが、皆しっかりとした女性でございました。

振り向いた望美様に朔様は訝しがってお声をかけました。そらそうでしょう。この姿絵を求めるた めに城下くんだりまで出てきて、そして突然手にしたかと思えば放り出すんですから。けれど、望 美様は険しい――いや、険を含んだ、と言い直しましょうな。ぴんと一気にご自身の纏う空気を張 り詰めさせて、頬を緊張で固くしておりました。


「・・・・・・望美?」
「ごめん朔、ちょっと・・・・・・」
「え、ちょ、ちょっとどうしたって言うの!?」


朔様のお声は、黒山の人だかりの中ではちと頼りなかった。望美様はすいすい人を掻き分けてそち らのほうに行くんですな。こういうとき、遅れを取ってしまったらもうだめです。一拍置いて追い かけようとしても、後から後から買い求める人で行き先を邪魔されてしまうんです。


「そりゃあ源のやりくちも強引だけど・・・・・・」
「追随してる梶原の神経もどうなってることやら。聞けば御当主は元は平に居たっていうじゃない か」
「有川の筆頭――ああ、なんて言ったかねぇ、還内府殿だったかね、あの人がどう動くか・・・・・・」


旦那相手なら補足は要りませんわね。手前の知ってることならお話しますが、旦那も知ってて手前 も知ってることを話すのは些か面倒ですな。


「あの」


望美様はおかみ衆に向かって物怖じせずに声をかけました。対して、声をかけられたおかみ達は少 し瞠目いたしましてな、それでも望美様の身なりからいいとこのお嬢だと思って気を持ち直しまし た。少々不躾だとは思ったらしいですがね、それでもにこやかに「あら」なんて返すあたり、年の 重ねは敵いませんな。


「今の・・・・・・その、有川の筆頭って」
「還内府殿のことかい?お嬢さん、若いのにお城に興味がおありかい」


おかみ衆の中の、一番年上のものが答えました。じっくりと望美様の全身を見つめた後、その瞳に は好奇の色が浮かんでおりましてな、どこの大店の小娘かと考えている様子でございました。目じ りに小さなシワをこさえて、柔和な表情で言ってくるあたり、すこし胡散臭いとは思いますがね。


「有川の筆頭――還内府殿について何かご存知なのですか」
「ご存知かって聞かれると存じておりません、って答えるけどね。若いのに平家の御仁にいたく 気に入られてるらしいねぇ。聞けば、実子よりかわいがっているっていうじゃないか」
「まだハタチかそこいらの若人だって話だよ」
「平家のあの入道殿に意見できるのは彼の人だけだって噂は聞いたことあるけどねぇ・・・・・・ ところでお嬢さん、この界隈じゃ見ない顔だけど、そんなこと知ってどうするのさ」
「あ・・・・・・いえ、ただ、その・・・・・・」


深い意味はないのだ、と言外に匂わせましてもね、相手はご自分の倍も年を食ってる女衆です。取 り繕った嘘なんかすぐに見破っちまう――望美様はここで、自分が春日の者であるとバレてしまう わけにはいきませんでした。共の者もロクに連れず、こんなところを出歩いているのが見つかった らどうなることか。近頃の政治に不満を持つものはそう少なくもない。手っ取り早く槍玉に挙げら れて、作らなくていい傷を作っちまいます。

困ったように笑うだけの望美様を、おかみ衆はますます不審がりました。そんなときに――


「勝手にどこか行かないでよ、もう、困った人ね」


と、朔様が追いついたのは好機でございました。あれこれ詮索される前に、その場を立ち去ったん でございます。





さて、改めて絵師の姿絵を手にしたお二人は、道草を食うことにしました。手前はあまり入りませ んがね、道端に軒を出してる茶屋に入りますと、朔様はたしなめる様に言いました。


「望美、一体何を話していたの?」
「え、ええと・・・・・・」
「まさか、平に関すること?」
「・・・・・・・うん」
「あなたってば・・・・・・平や有川に関わることはあまり感心しないわ。お城での争いを知らな いわけじゃないでしょう」


朔様のご意見は最もですな。旦那、旦那だってそうお思いになりませんか?奥に入る若い娘が、ご 両親が日々苦心なさっている原因に触れようとしているんです。手前にゃ伴侶も子もおりませんが 、もし、これが我が子だったら頬を張り倒しますな。危険なことに首を突っ込むなとね。突っ込ん だ首が飛んじまったらどうするんです。己が子にはどうか安穏とした、幸福に包まれた道を歩んで 欲しい、そう思うのが親の心ってぇもんじゃあございませんか?一瞬のかげりもなく、わが子の面 が曇る事無く、屈託なく笑っていて欲しい。それが高望みというのであれば、せめてこの子には平 穏なる人生をと願うのが親ってもんでしょ。

ただ、政ってのはいけない。そういう親心も、逆に親を思うこの心も利用して利用価値がなくなる や否やさっさと捨てます。まったく――こんなことをいうと、政も地主屋と変わりありませんな。 利用できるかどうかだけで判断して、己に泥が被るようならさっさとケツ捲くって逃げる。後は知 らぬ存ぜぬの一点張りでねぇ。汚い、本当に汚い世界だと手前は存じますよ。泥水呷ったなり不敵 に笑うやつが生き残るんです。

けれど政ってぇのは――それくらい厳しいもんなんです。ああいやいや、こんなこと、今更旦那に 話さなくてもおわかりでしょうな。

この日聞いた「還内府」の名――春日と反対側に居られる政敵の名――は望美様の頭の中に強く根付くことになったのです。












雑踏の中で知っている単語だけが良く聞こえることを
カクテルパーティー効果、というんだそうです(うろ覚え)
このあたりから誰が聞き手かわかってくると思います