The Phantom of the Opera  ――カーテンコール――




さて、と隣にいる女が煙草を揉み消す。


「これで全てお話いたしましたわ、市警様方?まだ何か聞きたいことがおありかしら?」


切れ長で勝気な瞳を綺麗に緩ませて女は言う。泰衡も九郎も、聞きたいことはたくさんあったはず なのに、今まで飲んだ酒が一つ残らず溶かしてしまったように何も出てこず、代わりに液体を喉に 流し込んだ。相変わらずマスターの姿はなく、しかめっ面をさらに深くする泰衡のグラスが一番最 初に空になる。


「その話を信じろと?」

「だから、初めに申したはずでしてよ、泰衡殿。これから話すことを信じるかどうかはお任せする 、と」


女の目はからかいそのもので、これと言った反論が浮かばない自分の脳みそに呆れる。結局真実を 知ることは出来ないのかと隠れて嘆息を吐いた九郎もグラスを空け、じっと手元を見つめた。

オペラ座はあの事件以来扉を閉ざし、所属していた関係者は方々に散り散りとなった。或る者は故 郷に帰り、或る者は別の国に渡る。技術を持ったものは腕を買われて新天地でまた同じ生活を送っ ているのだろう――ただ、そこがオペラ座ではないというだけで。


「それで、その二人はどうなったんだ」

「さぁ・・・・・・行方を捜すのは妾の仕事ではございませんわ。どうしても、と仰るなら御自分 のその二本の足でお探しくださいな」


女はグラスの淵に指を添えながら、視線を落とす。綺麗に磨きこまれた木目のテーブルに彼女の影 が写りこみ、長い睫の影が頬に表情を与えていた。呼吸の音だけが静寂を妨げて時間は殊更ゆっく りと流れている。


「・・・・・・」


ずっと、ずっと追ってきたヤマだった。シャンデリアが落ちてから一時間以内に現場へ急行し、見 たくもない死体を見て、錯乱する観客から事情を聞き、煙に巻く支配人を拘束し――半年でうやむ やにされた事件だった。心に残ると詩的に表現できるかも知れないが、実際のところは自己満足に 過ぎぬのだ。

何もはっきりしていないこの事件の全貌を知りたい。それだけだった。

真実はどこにある、と上司に隠れて密かに追っていたオペラ座の事件は、結局、関係者だけのもの であり部外者が入り込む余地はないと肌で分かる。


「そう、それがきっと正しい答えですわ、泰衡様」


泰衡の頭の中を見透かしたようなタイミングで女が告げる。


「真実などどこにもありはしませんの。人から得た情報は少なからず主観が混じっておりますもの 。その時点で事実は歪み、事実は出来事に変わってしまう。瑣末な事柄を丹念に追ったところで、 真実は、貴方が触れたその瞬間、姿を変えるもの」

「・・・・・・どういう、ことだ」

「妾は妾の目でしかこの世を見ることはできませんわ。音も、味も、触覚も、全て妾が妾だけに知 りえるもの。それをどんな方法で他者に伝えようと、精確に理解できますまい」

「つまり、己で経験したことしか知りえないといいたいのか?」

「あぁ、さすがは市警様ですわね。話が早くて大変助かりますわ」


どこか哲学めいたことを言ったその口で、平然と揶揄してみせる。この女はつかみどころがなく底 が見えず、同じ言語で話しているのにも関わらず、まるで異邦人のような存在だった。泰衡はじっ とその横顔を見つめる。

美人の類に間違いなく入るだろう。黒く長い髪と白い肌、そして紅を引いてもいないのに赤い唇。ど こにいても一見して姿を見つけられるような雰囲気を纏った女。

そしてオペラ座に深く関わっていた女。

彼女は、彼女が見たもの負ったもののどれもを、誰とも分かち合う気がないのだ。ぱっくりとまだ 癒しきれていない傷を隠そうともしていなかった。傷の出来た由来を聞けば教えてくれる。けれど 、決してその時の感情や流れ出た血の熱さを語ろうとはしない。全て聞き手に任せる、好きに解釈 しろと突き放していた。

彼女のグラスにはまだ、指一本分ほど液体が残っている。ぴんとグラスをはじいた細い指先の動き を馬鹿みたいに追ってしまった九郎が、唇を一度舐めてから訊ねる。


「貴方は、これからどうするんだ」

「九郎様、一年も経ってからそのご質問をなさるの?愉快な方ですこと」


答えろ、と含ませた泰衡の視線を受けて笑った彼女は、そうね、といいながら新たな煙草に火をつ ける。最後の最後でもどこから取り出しているのか分からなかった。燐の独特の香りが鼻腔をつき 、ふと見れば灰皿の上にはくすぶるマッチがある。


「どうするのだ?」

「また抽象的で広いご質問をなさるのね、泰衡様。意地の悪い方だわ」


同じ質問をしたのに九郎との扱いが違う。憮然とした彼に女は苦笑一つ零し、ついでに深く吸い込 んだ紫煙を吐き出した。もう一度そうねと呟くだけにして、視線を遠くに投げかける。黒い双眸は 空中に何かを捜し求めて、ちょっと笑った。


「とりあえずはこのグラスを空けて――新しい飲み物を注文しましょうか。ねぇマスター?」


はい、とどこからか姿を現した初老のマスターが笑って頷いた。





*fin*









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じゃんのあとがきが読みたい人はもちょっとスクロールしてください。



















あとがき
まずは、こんなに長い話にお付き合いくださいましてありがとうございます。
この作品を通して出会えた人、読んでくださっていた方、応援してくれた方全てに感謝を申し上げ ます。
自分の好きな話「オペラ座の怪人」で「なんでヒロインは怪人を選ばんのじゃ!」と思ったところ から始まり、足掛け三ヶ月でした。
と言うわけで、正規のEDと怪人EDの二つに分かれました。
人物関係についてはガストン・ルルーの原作とミュージカルの設定が混じっています。
原作ではペルシャ人が怪人の友人?として登場していますが、ミュージカルでは出てきません。
そして、ミュージカルでは五番ボックスの案内人が怪人の過去を知る人物として描かれている( らしい)ですが、原作では面識はありません
なお、怪人とペルシャ人の関係についてはスーザン・ケイの「ファントム」というアンソロジー 小説の設定をお借りしてます。
他にもいろいろとあるのですが……ま、何が言いたいかっちゅうと、原作無視してました☆ ということです(こらこら)

さて、人物設定で一番困ったのがいわずと知れた「怪人の顔」でした。知盛の顔をつぶすわけにい かないので十字架をいれました。(デザインしてくれた葉月様にお礼申し上げます)
軽くその十字架についての設定が書かれていますが、全ては妄想の産物でありまったくの嘘で、ん なもの存在しません。666が悪魔を現すというのは本当のことですが、理由については諸説ございます。
SSの中で名前が出てきたオペラは実在します。が、じゃんは見たことがないのでこれも全くもっ て想像の印象でしかありません。
もしも実際にご覧になったことがある方がいらっしゃいましたら、「あれ?」と思われるかも知れ ませんが、そこのところは目を瞑っていただければ幸いです。(いつか聞いてみます……いつか)

それでは、次回があることを祈って

10.28.2006  じゃん