偶然なんてのは
積み重なって
必然になるものなのか



An Accidental Meeting



1:検事

(――これって)


彼女は目の前の、厳めしく聳え立つビルを見上げた。何と言ったものか、お役所独特の物凄く堅そ うな空気がエントランスの自動ドアが開閉するたびに漏れてきているようだ。いいや、堅いという よりは厳格。一寸の曖昧も許さぬ厳格さが四角いその建物から漂っていた。

(やっぱり、一足飛びってやつだよね)

ちらと右肩にかけていたカバンの中身を覗いてみる。そこには自分の教科書やら財布やら筆記用具 やらがごちゃごちゃと乱雑に入っていて、けれど、一つだけ丁寧に袋に入れて分けてあるものがあ った。覗き込んだ際にさらと流れてきた自分の髪を耳にかけなおし、再び視線を建物に戻す。


――検事局


大理石で出来た、子供一人分はゆうにありそうな指標――表札、とでもいうのだろうか――に金の 字でそう書いてある。何回読み直しても間違いがなく、そして間違いようがなく、あまりにもあっ さりと簡潔にすっきりと極わかりやすく、この四角張った建物が何であるか示していた。

(ううう・・・・・・)

建物に入っていく人、出てきた人、皆きっちりと着込んだスーツ姿で、さっきから突っ立っている ようにしか見えない彼女にじろじろと不躾な視線を投げかけては足早に消えていく。
それもそうだろう。こんなお堅いオフィス街でジーンズを履いた若い女がいると、それだけで悪目 立ちしてしまう――せめてスーツでも着てくるべきだったかと軽く後悔するも、もう遅い。だが、 今朝、家を出るときにたかが“落し物を届けにいく”だけでスーツを着るのもどうかと思ったのだ。
大体、学校だってある。バイトだってある。一日の予定をざっと思い起こしてみても、着慣れない スーツで過ごす気にはならなかったし、想像しただけでげんなりしてしまう。動きにくい上着も、 歩きにくいパンプスも。

(ううう・・・・・・)

けれど、困るのだ。
おそらく彼が持っているであろうあの教科書がないと。専門書はとかく高い。ついでに取り扱いも 少ない。今から学校に委託されている書店に頼んだとして、早く見積もっても一週間はかかってし まうだろう。それは、講義に出る上でも財布の具合からしても――確実に困る。
彼女はそこまで考えて、(偶然出てきたりしないかな)とか思いつつ――検事局の前を後にした。

(落し物は交番へ!最初っからそうすればよかった・・・・・・)






つい先日、と言っても五日くらい前のことである。勇盟大に通うは法学部の友人に付き合 って裁判の傍聴に来ていた。何でも裁判の様子をレポートにまとめて提出すると、その教授からも らう単位は安泰らしく、友人は早く早くと急かすばかりだった。あいにくと、理学部生で法律なん て「刑法と、民法と、憲法と、後なんだっけ?」といった具合のにとっては全くピンとこない。
前日、「答えが出ないことを答えとして論証する」という命題に遅くまで取り組んでいた、実に動 きが鈍っている頭で友人の説明を思い出してみた。

現在、この国の犯罪は増加の一途を辿り、天井知らずである。それに伴って裁判の件数も増え続け てきた。裁判はとかく日数を費やす。あわせて裁判官、弁護士、検察官の負担も無視できないもの になり、ついに国が動くことになった――序審制である。
要は、有罪なら有罪、無罪なら無罪のハンコを予め押しておいてから次へ進もうというのである。 その罪の有無を審判する場が序審裁判というわけなのだ。まさしく合理的といえるが、ここで有罪 とハンコを押されたらその後の裁判で判決がひっくり返るのは極めて難しい、といった一面も持っ ている。なにしろ、後の審判を任された裁判官は「有罪」の印象を持って被告人の判決を言い渡す のだから。但し、この制度は刑事事件に限っていると友人が言っていた。いわく、民事にはいろい ろ向いていないのだと。

(重いし眠いし・・・・・・)

「答えが出ないことを答えとして論証する」命題は結局明け方になってもややこしいままで、すっ きりとしたロジックを導き出せなかった。担当の教授に聞いてみたくても、あのイラっとくる皮肉 を真正面から受け止めてど真ん中で返しそうで今日は止めておいたが、今持っている参考書があれ ば何とかなりそうである。


ー?何してんのー?」
「あ、ゴメン、今行く・・・・・・っと!」


裁判所の中に入ってすぐだった。立ち止まっていたくせに急に歩き出したが悪かったのか、前 を良く見ずに書類とにらめっこして歩いていた彼が悪かったのか――肩と腕とか派手にぶつかって 、互いが持っていたものが盛大に床に散らばる。


「ご、ごめんなさい・・・・・・すみません」
「う・・・・・・ム、すまない」


床にかがみこんだの目に、まず入ってきたのは赤というより臙脂に近い色合いのスーツで、次 に首元のブラウスのフリルだった。

(――フリル?)

そして、ついと目を上げると、整った顔立ちがあった。光の加減によっては灰色にも見える髪をし ていて、切れ長の双眸はどことなく人を寄せ付けない厳しさがある。


「あ・・・・・・」
「すまない、急いでいるのだ」


彼は短く低くそういうと、手早く散らばったものをより分け、の手に押し付けたあと、もう一 度すまないといいおいて去ってしまった。時間にして、一二分。それでもにとっては物凄く強 烈な印象を残すには十分だった。


?」
「う、うん・・・・・・今行く」


呆然と、彼が消えて行った方向に視線をやりながらもそう頷くと、逆に友人から呆れの溜息をつか れてしまった。
その後、とぶつかった男は弁護側と反対側に立ち、相手の弁護士が可哀相になってしまうくら いそれはそれは見事に、鮮やかに、華麗かつ完璧に被告人の有罪を立証していた。


しかし。


「どーしろっつーの、コレ」


バイト先で、何か判例を集めたような一冊の本を手にして途方に暮れるの姿があった。


「勉強してこいってコト?」