斜め後ろ、頭ら辺に

痛いほど視線感じないかしら?






Coffee Break!




ふうとすっこ抜けた青空に向かって紫煙を吐き出すと、夏の匂いをはらんだ風が押し流していって、 すぐに跡形もなく消えてしまった。

直訳すると『幸せド真ん中』というタバコのメンソールをこうして休憩時間に一服するのも もう板についた習慣である。

景時が店を開いてから早くてもう一年以上経つ。

バリスタの資格も調理師免許も無事に習得し、店を開くのもたいしたすったもんだはなく あっさりと開業できたのは白龍の加護のお陰だろうか。

小ぢんまりとした店は景時の気分次第で開店時間が代わり、ランチをやっていないため 今のような、昼時は丸々彼の休憩時間となる。

それでもよほどのことがなければ午前十時にはオープンしているし、午後八時ともなればあっさり と看板を下ろす。

趣味と実益が上手い具合に一致した今の生活はのんびりと穏やかで、贅沢をしなければそれなり に蓄えも出来るほどは稼いでいる。

不定休のこの喫茶店は、この辺りの奥様方の憩いの場として有名だった。


「・・・・・・そろそろかな」


二階のベランダで呟いたなり、外に出した灰皿に吸いさしを押し付ける。

望美が大学からこの店に来るころあいなのである。

彼女は彼女で希望する大学へと進み、授業が終わればここに直行して店を手伝うことがすっかり 暗黙のルールとなってしまった。

だから、からんころんと『ちょっと待って』の札が下がった扉が開く音がしても、 景時は驚かなかったのだ。




――ごかいめ


望美は水の入ったグラスを零さないようにお客様に出しながら、横目で回数を数える。

景時の店はさして広いわけではない。

L字型の店内はカウンター席が六つ、四人座りのテーブル席が四つあるだけの、木製のぬくもり を活かした作りになっていて、一階部分が店舗、二階部分が彼の居住空間となっていた。

そのカウンター席を陣取っているオバサマは約四人。

香水の匂いがきつくないのは幸いだけれども、笑い声のトーンと手つきはどうにもいただけない。


「あぁ、それならオレンジソースならどうですか?」

「オレンジ!?」


景時の言葉を一言一句逃さないオバサマたちは大げさな声を上げて話の続きをねだる。

柔らかくて心地のいい低さをもつ景時の声が、幾分か苦笑を帯びたのは気のせいではないだろう。


「果物の酵素は肉を柔らかくする働きがありましてね。
 長く漬け込むと崩れちゃうんですが、結構いけますよ〜」

「へぇ、景時さんは家事上手ねぇ」


いやに色を含んだ流し眼を送って、景時が差し出したコップに手を伸ばすのは『山田さん』だった。

紛れもない常連で、この辺一帯の主婦は彼女に頭が上がらなくて――景時のことが大好きなのが ばればれなオクサマだ。

恰幅が良くて、よく言えば豊満な体で眼鏡をかけていて、いつも決まった時間にここに来る。

そして望美の姿を見るたび、フンと鼻で笑って嫌味ったらしい視線を寄越してくるのだ。

そんなことにへこたれる望美ではなかったが――あちらの時空にいた時はもっとずっと 殺気溢れる視線の中に身を投じていたのだし――面白くないものは面白くない。


――ごかいめ、だ


コップを手に取ると見せかけてそれとなく彼の指に触れる回数。

望美が少々乱暴にグラスを置いてしまったのも、無理ない話だった。


「お決まりのころにお伺いいたしますね」


極上の笑顔の裏には、望美の渦巻く心が隠れている。


それを知ってか知らずか、景時は四人のオバサマと今日も仲良く 家事談義に花を咲かせるのだった。

――とても仲良く。




景時の店に客足が途絶えない理由の一つに、格安でコーヒーと紅茶が飲めるということが挙げら れる。

駅前や繁華街にある喫茶店で注文する値段の三分の二くらいの価格で、それでいて味が劣るという ことはない。

加えて、落ち着いた住宅街の中にあるため店内がざわめきで充満するというわけでもなく、 しょっちゅう客が出入りする雰囲気でもない。

例えて言うならば、ゆっくりとくつろいで読書に没頭できる空間とでも言おうか。

景時が生来持つ、人を和ませる空気が存分に発揮された結果、日々雑多な家事に追われる 奥様方の憩いの場となるもの頷ける。


――でもだからって


がちゃんとシンクの中で派手に皿がぶつかる音が響く。

いつも皿洗いを担当している望美はさっきからぐるぐる回る頭を止める術を知らない。


――べたべた、デレデレすることないじゃない・・・・・・?


大体、景時は望美と一緒にいてもメニューのことを考え出すと上の空になってしまうし、 最近は休日返上で店にかかりきりになっていた。


――お仕事だってわかってるけど・・・・・・っ!


時計は八時を半分回った音を呑気に店内に伝えてくれる。

人気のない店内を片付ける景時が奥のキッチンを覗いたとき、望美の背中はなぜか普段より もぴりぴりと張り詰めている気がしてならなかった。


「望美ちゃん、そっちはどうだい?」

「・・・・・・」

「望美、ちゃん?」


返事がないので体ごとキッチンに向けると、胸元まで開けたシャツからチェーンに通した シルバーリングが転がり出る。

コーヒー豆や茶葉を取り扱う彼は直接指にはめることをせず、こうしてネックレスにしていた。


「・・・・・・」


この距離で景時の声が聞こえていないということはない。

なのに、望美から発せられるはずの明るい返事は一向に返ってこなかった。

おかしいなと思うよりも早く、景時はカウンターをひょうと越えてキッチンへと歩み寄り、 望美の小さな背中を抱きしめる。


「・・・・・・何か怒ってるの?」


何が原因かは見当がついていないけれど、それくらいは分かる。

こめかみあたりに唇を寄せて囁いてみても、望美の両手は無機的に動いていた。

くるりと項辺りで丸くまとめた藤色の髪から香る香りを直接鼻腔に感じて、さらに腕に力をこ めて聞く。


「オレ、何かしたかな?悲しませるようなこと、しちゃってたらごめん・・・・・・」

「・・・・・・」


景時の言葉は渦を捲いて止まらない望美の思考の上をつるつる滑っていく。

彼に気を使わせている自分も嫌だし、紛い無いなりにも常連さんそれもうんと年上の女性で既婚者 にやきもちを妬いてしまう自分の心の狭さが子供っぽくて嫌だった。


「景時さん、でれでれしてた」


ぶっきらぼうに口をついて出た言葉に二人そろってはっとしてしまう。

望美は自分の考えていたことが外に出てしまったことに驚いたし、景時は望美が口を利いてくれ なかった原因にやっと思い当たる。


――あれか・・・・・・


景時だって伊達に年を重ねているわけではない。

それなりにあしらったつもりでいても、望美の目にどう映っているかという配慮が欠けていたの かとも臍を噛む。


「で、でれ・・・・・・て、してないよ」

「してた。今日も奥さんたちに囲まれて嬉しそうでした」


一度外に出てしまった思考回路は今まで望美の頭の中を駆け巡っていた言葉を忠実になぞって どんどん溢れてしまう。

どうしようもなかった。

疲れている景時にこれ以上、疲れさせるようなことを突きつけたくは無いのに、止まらない。


「・・・・・・ごめん。これからは気をつけるから、さ」


許して、と小さなキスをうつむいた望美のこめかみに贈る。

むうと唇を固く引き結んだ望美の横顔に、僅かながら涙が浮かぶ。


ちゅと音を立てて離れた唇の熱に、たったそれだけなのに心の真っ黒な塊が少し溶けたような 気分になるから自分はとっても現金だなどと望美は嘆息を漏らす。


「・・・・・許しません」

「え、と。そんなこと言うと、オレ泣いちゃうよ?」

「泣いてもダメです。山田さんとべたべたしちゃうし」

「あ〜や、山田さんね、うん・・・・・・ごめん。ね、どうしたら許してくれる?」


景時の言葉に、望美は大きく息を吸い込んでから一気に言った。


「じゃあ、次の日曜はお休みにして、ゆっくり映画でも見るって約束してください。
 してくれなかったらもう絶対許しません!」


どんな難題を吹っかけられるかと密かに身構えていた景時は、思いも寄らなかった望美の要求に ぱちくりと松葉色の双眸をしばたかせた。

じっとつむじを見つめていると、約束ですよ、と固い声がした。


「次の・・・・・・って、そんなことでいいの?」

「景時さん、ここのところずっと忙しかったでしょう?だから、たまにはと思って・・・・・・」


腕の中の望美の声が、幾分か和らいだ気がして景時は力を緩めて彼女の顔を覗き込む。

いつもの、翠玉の大きな瞳が和やかな光をもって緩み、白い頬が笑う形に変わった。

その仕草に言葉も出なくて、景時はそっと唇を合わせる。


「御意〜ってね?」


普段どおりふざけた口調で言ったつもりだったけれど、景時は、望美の優しさが心にしみこんで どうしようもないくらい愛しく思えてならなかった。

ずっと、こんな風にすごせていけたらと切なく願うのは、今がとても幸せだから。

精一杯手を伸ばして掴んだ望月を二度と見失いたくはない。

もう一度景時はキスをして、とても嬉しそうに笑った。



*......continue?*











☆☆☆☆☆☆☆☆あとがき
素敵イラストサイト「*詫*」 の安曇るぅこ様と運命の出会いを果たしたエチャで出来た産物です。
って、ゆうかこんなんでいーでしょうか!!!
景時が吸っていたのは「LUCKY STRIKE」のメンソール、です。じゃんの中では景時は喫煙のイメージがあるんですよ。こう、さわやかにさらっと吸う感じ。
本文内にくっつけた絵はるぅこ様がえちゃ中にさらさら〜と描いてくださったもの。
挿絵風に使ってみました。ってなわけで、安曇様に限りお持ち帰りOKです。良かったら嫁に!(押し付け